私小説のようなもの

 「おはようございます。6時になりました。11月8日木曜日のNHKニュースおはようにっぽんです。」

 オンタイマーをセットしてあるテレビからアナウンサーの声が聞こえてくる。

 しまったと思いながらシャワーを浴びるために浴室へ向かう。

昨夜はライティングスクールに提出する課題についてコタツに入りながら考えていた。どうやらそのまま寝てしまったらしい。ノートも蛍光灯も電源もそのままだ。

 体を洗いながら、そういえば今日は出張の予定だったなと思い出しひげを剃るために洗顔フォームを手に取る。

 一瞬、ひげを剃っていてはいつものバスに間に合わないのではないかと思うがそれでもひげ剃りを優先する。

 浴室を出て時間を確認すると案の定いつものバスの時間には間に合いそうもないので最寄りの駅から電車で出勤することに決める。朝ご飯を食べていくか否かで迷うけれど途中のコンビニでおにぎりを買うことにしよう。

 着替えて家を出て駅へ向かう間も課題のことを考える。課題は私小説もしくはエッセイ。さて、どういうふうに書こうか。確か締め切りは今週末までだったはず。

 ここ数週間の生活を振り返り何か材料になるものを探してみる。先々週は山形まで好きな作家さんの対談会を聞きに行ってきた。行きと帰りは車、車中泊とホテル泊をそれぞれ一泊して色々な温泉も行ってきた。それについて書いてみようか。対談会は面白かったし、創作についていろいろと勉強になった。いいかもしれない。

 

 そう考えながら駅のホームで電車を待っていると満員電車が目の前に滑り込んでくる。

 いつも思うのだけれど、これに乗って毎日通勤している人のことをわたしは尊敬する。乗車口が開いて数人が電車を降りるけれども、わたしを含めて乗車する人のほうが降車する人より明らかに多い。車内に入ると文字通りすし詰め状態。こんな空間にこれだけの数の人間を乗せてよく運行できるなと今度は電車そのものに感動する。

 

 出勤すると始業時刻も近い。

 デスクに向かいまずパソコンの電源を入れる。出勤簿にハンコを押して戻ってくると昨日やり残した事務処理の続きを始める。その合間に決裁文書に目を通してハンコを押す。次の決裁者のところに持っていく。また別の決裁文書に目を通してハンコを押す。

 それが終わると車のカギとETCカードを借りて出張へ。

 職場を出て近くの高速道路のインターチェンジへ向かう道すがら星野源さんの曲を口ずさむ。星野さんの曲はいい。曲調も歌詞も、口ずさんでいるとこれから元気を出して頑張ろうという気になってくる。

 最初に聴いたころはSUNや恋が好きだったけれど、最近は化物や夢の外へそれからギャグやフィルムなんかもすごく好きになってきた。今度発売されるアルバムも予約済みだ。来年の2月のツアーにはたぶん行けないだろうけれどDVDかBlu-rayを買えたらいいなあと思う。

 高速道路に乗って車を走らせること2時間近く。途中のサービスエリアで休憩をはさんだけれど、これだけの時間をひとりっきりで運転するのはやっぱり退屈だ。それに、慣れてきたとはいえ少し疲れる。疲れるけれども仕事はやらなくちゃ。これでお給料をもらっているわけだし、と自分を励まして午前中の訪問先へ車を向かわせる。

 

 午前中の予定を終えてお昼ご飯を食べるためにファミレスへ入る。

 テーブルに着いてメニューを見ていると今日のランチセットはハンバーグらしい。写真で見るハンバーグはおいしそう。だけれど最近胃腸が痛むのできのこ雑炊とサイドメニューのきのことほうれん草のソテーを注文する。

 料理がくるまでこの間買った小説宝石の11月号をめくる。お目当てだった京極夏彦さんの読み切りは読み終えてしまったけれど、他の作家さんの読み切りにも手を出してみようと掲載されているいくつかの作品の中から十返舎一九が出てくる時代小説を選んで読み進める。

 最近この手の小説雑誌に好きな作家さんの読み切り短編が掲載されると購入して読むようになった。これが結構いい。お目当ての作品を読み終えても、別の知らなかった作家さんの全く違う作品に出会えたりする。そして読んでいるうちにその作品に引き込まれていき、読み終わるとじゃあこの人の他の作品にはどんなものがあるのだろう、と検索してみたりする。まるで行ったことのない別々の世界へ通じるドアがいくつも用意されているような気がしてわくわくする。単行本や文庫化した短編集もいいけれども、雑誌には雑誌のこういう良さがあることを最近知った。やっぱりいろいろなものを読まなきゃなあと思う。

 小説を読み進めていると料理が運ばれてきた。きのこ雑炊は写真で見た以上に量がある気がする。完食できるだろうか。行儀が悪いがページをめくりながら雑炊を食べる。けれども胃痛のせいで食はあまり進まず、読むことにも集中できない。

 結局雑炊は完食したけれどソテーの方は半分以上残してしまった。きのことほうれん草よすまない。そして作ってくれた人ごめんなさい。心の中でそう謝りながら会計のレジへ向かう。

 

 午後も予定していた訪問先を何件か回って職場へ帰ってくる。

 時刻は16時30分。デスクの上には書類がいくつか平積みされていて少しうんざりする。

 大半は回覧物なのでハンコを押して次の人へ回す。決裁文書にはひと通り目を通してハンコを押す。何かおかしいところがあれば作成した人のところへ持って行って指摘をしたりするけれど、どうやら今日はそんな心配はなさそうだ。既に終業時刻が近いので残業を申請するかどうか迷うけれども、課題の締め切りと胃痛を考えて定時で帰ることに決める。

 終業間際、庶務担当者から年末調整の書類の締め切りは明日9日の金曜日までなので必ず提出するように釘を刺される。締め切りねえ。

 

 家に帰ると、とりあえず晩ご飯の支度。炊飯器でご飯を炊いている間ベランダのプランターから春菊と水菜を少し採ってくる。水でさっと洗って塩を振ってあるボウルへちぎって入れ、そこへオリーブオイルと帰りにスーパーで買ってきたレモン果汁を入れて混ぜ合わせる。最後にコショウを少々と一昨日駅前のデパートで開かれていた北海道物産展で買ったチーズを散らしてサラダの完成。

 コンロの上の小鍋には昨日の夜から煮干しと水が入れてある。それを火にかけ、煮立ってきたら刻んで冷凍保存しておいた小松菜、ゴボウ、油揚げを入れる。スーパーマーケットのセールの時に買っておいて刻んでジップロックに入れ冷凍しておいたのだ。

 野菜に火が通ったら味噌を溶いて最後に刻んだ小ネギ―これも冷凍しておいたもの―を入れてみそ汁の出来上がり。そうしている間にご飯が炊きあがる。

 ご飯をお茶碗によそってサラダ、みそ汁と一緒にお盆にのせる。冷蔵庫の中にあった作り置きのピーマンのおひたしと秋刀魚の煮物、それからワカサギの佃煮を適当に盛りつけて主菜の皿をつくる。こうして今日の晩ご飯の完成だ。レモンが香るみどりのサラダ、生姜のきいた煮物と佃煮、それから油揚げと小松菜がキラキラと輝くみそ汁。何でもない晩ご飯だけれどそれがいい。なんとなくいい。

 胃も痛いのでよく噛んで食べることにする。その方が消化に良くて胃腸への負担も少なくなるらしい。サラダは塩を入れすぎたかな、秋刀魚はやっぱり煮る時間が足りなかったかな、などと思いながら箸を進める。こういう少しの発見や感想が次の料理の時に生かされるのだなと感じるようになったのは自分で料理をするようになってからのことだ。

 

 ご飯を食べ終えると食器を洗い明日のお弁当のお米を研いでとりあえず家事を終わらせコタツの上でノートを広げる。さて課題だ。

 私小説やエッセイということは、何か文章の核になるようなものが必要ではないだろうか。たとえば自分なりの矜持や思想だ。けれども、ここまでこうやって一日を過ごしてきたけれどそれが見つけられない。これは惰性で日常を過ごしているツケだろうな。たとえば小学生の夏休みの課題で出される絵日記などならいくらでも書くことがあるだろう。いや、思い返してみるとそうでもなさそうだ。

 昨夜と同じようにうーんうーんと頭を捻りながら適当にノートのひとつのページへアイデアを書き込んでいく。

 自分の作ったご飯がおいしかったです、満員電車での通勤は大変だと思いました、星野源さん大好きですくらいしか書けそうにない。小学生の日記だってもっとましなことが書いてあるだろう。

 矜持や思想にいたってはもっと難しそうだ。矜持、わたしの矜持。わたしにとっての矜持……。

 

 たぶん今のわたしはそれを書きたくないのだ。それほど大した意見も矜持も思想も持ち合わせていないけれども、わたしはそれを自分の心の奥底に大事にしまっておきたいのだ。それをでかでかとお題目にして文章化することはなんだかためらわれる。

 それでも、あなたの矜持はどういったものですか、思想は何ですかと真正面から聞かれたら、その時は悩んで悩んでいろんなことを書いて書いて説明して説明して、それでもなんとか伝えようとして最後に「こんなものなんです」とどうしようもなさそうに、まるで「なけなしの十円玉をわたすみたい」に口に出す。奥ゆかしさとか恥ずかしさとか、そんなものとは全然関係なくそういうものこそが自分にとっての矜持たるべきものであり思想と呼べるものだと思う。

 

さてこんなことを書こうか、とペンを走らせ始める。

 

「おはようございます。6時になりました。11月8日木曜日のNHKニュースおはようにっぽんです。」

 

 顔を上げるとNHKEテレにセットしておいたテレビ画面では2355の日めくりアニメーションが放送されている。「明日は11月9日金曜日です。」

 

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あとがき

はじめまして。とりあえず初投稿の小説です。8割がた実体験の私小説らしきものです。