『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』を読んで

 先週から今週にかけて、図書館で借りた『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』という本を読んでいた。そこに綴られている、戦争中の子供時代を回想する短い文章のひとつひとつが悲しく、皮肉で、そして何より美しい。

  

 

 この本は、1992年から発生したボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争中のサラエボ包囲戦を、子供時代に経験した人たちの回想や日記を集めたものだ。紛争中においてサラエボの街は、約3年半に渡って敵対勢力から包囲され、砲撃やスナイパーによる狙撃が市民を襲ったそうだ。

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 この本を企画したヤスミンコ・ハリロビッチさんも子供時代にサラエボ包囲戦を経験した方だ。ヤスミンコさんは包囲戦の最中に同じように子供時代を過ごした人たちに、「あなたにとっての戦争とは何でしたか」と呼びかけた。その呼びかけに対する1000近くの返信が集められている。

砲撃と銃弾の雨でさえ、

私たちのなかにあるきれいなもの、

遊びたいという気持ち、

子どもでいられる時間をころすことは、

できなかった。

レイラ(女)1976

169ページ

 包囲戦の最中、子どもたちは爆弾や砲弾の破片を集めて遊んだり、砲撃の最中の暗い地下室でビー玉遊びをしたりして遊んだそうだ。中には爆弾がさく裂したすぐ後で外に飛び出し、まだ熱を放っているその破片を取ってきたという話も載っていた。わたしたちの感覚からすれば異常とも思える状況だろう。親戚の子供が掌を開いて見せてきたものが、銃弾や薬莢、迫撃砲弾の破片だったらわたしはどう思うだろうか。けれどもそれを振り返る彼ら彼女らの文章の中には、その悲壮さを超えて懸命に子供時代を過ごそうとしていたという思いが垣間見える。これは身近な戦争に対する屈折した思い、というよりは単純に正直な子ども心だったと思う。

やつらは私たちから自由を奪った……

でも私たちから無邪気な笑顔を奪うことはできなかった^_^(原文ママ

レイラ(女)1981

167ページ

ぼくたちは戦争ではなく

生活を選んだ。

笑い、遊ぶことで、戦争中

少しでもましな幼少期を送ろうとした。

エディン(男)1984

66-67ページ

善を信じること。生き抜く意志と火事場の馬鹿力で、どんな困難も

かならず切り抜けられる。

イワン(男)1984

187ページ

 もちろん、そんな前向きな言葉だけが綴られているわけではない。先ほどの書き手と同じ名前の少女はこう綴っている。

だれの身にも起きてほしくない、

つらくてきびしい時期。

要するに、

子どもでいられるときなんてなかった。

レイラ(女)1980

215ページ

 包囲戦の最中には、街の市場や非武装地帯にまで砲弾が撃ち込まれた。昨日まで一緒に遊んでいた友達が今日はいなくなっているかもしれない。生活物資は困窮し食事は配給、飲み水も欠乏し当時5~6歳くらいだった人が自分の大きさ以上の水タンクを運んだという回想もあった。そんな非日常の中で生活していくために「子どもでいられなかった」という思いもまた正直な気持ちだろう。そこには押し隠せないほどの悲しみが込められている。

戦争中に子どもでいるってことは、

子どもではいられないってこと!

セルマ(女)1983

78ページ

戦争を生き延びたひとりの子どもは、戦争が終わってから

子ども時代とは何かを知った―

ぼくにはなかったもの。

おぼえているのは、地下室の学校。

ムアメル(男)1978

181ページ

 そんな回想文の中で思わず笑いがこみあげてきた一文があった。乾いた笑いだ。不謹慎かもしれないが、これ以上の皮肉で噴き出すような短文もなかなかないだろう。

友だちのディーナに、外に遊びにいこうって言ったら、

心配そうな顔をしてだめだと言うの。

なぜって、もし爆弾で死んだら殺すわよってママに言われたんだって。

アムラ(女)1984

75ページ

 死んだら殺すこともできない、だから外で遊んでくれるな。母親の切迫した思いを子供の口を通して聴くことで、死と隣り合わせの日常生活という彼女たちにとっての現実が滑稽さを伴って身に染みてくるようだ。けれども、もしかしたら母親にとっては爆弾で殺されるよりも自らの手で……と思った方が救いなのだろうか。未だ親の経験がないわたしにはわからない。

 

 子どもにとっての戦争の実体験がどれほど悲惨であるかはわからない。おそらくそれは、実際に体験した者たちにしかわからない類のものだろう。一度も戦争を経験せずに育ったわたしが、それについて何を語っても空しい言葉になってしまうのかもしれない。けれどもわたしは、ここに綴られた言葉ひとつひとつに詩的ともいえる美しさを見つけたと思った。

 

 サラエボ包囲というか、ユーゴスラビア内戦については米澤穂信さんの「さよなら妖精」で知った。これもまた悲しくも美しいと思ってしまう物語だ。

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