呻り田

 去年の夏に学生時代の同期たちで作った同人誌に寄稿した小説です。

 時代は昭和中期モータリゼーションがまだ進んでいない田舎が舞台のお話です。

 

 

 

 

 見渡す田園地帯は、刈り取られた稲わらを干す稲木で溢れていた。

 縁側に腰かけて見渡すと、遠く山のふもとの集落まで稲刈りを終えた田圃が広がっている。そのいくつもの田園風景のなかで、一か所台地のように盛り上がり耕作されていない場所がふと目に着いた。田園風景の中でぽつんと浮かび上がっているようなその場所に意識を集中させようとしたところで、後ろから声をかけられた。

 

「茶が入りましたんで飲んでください」

 振り向くと、家の主人がわたしのすぐ後ろに立っていた。思わず驚きそうになったが、そんな顔も見せずに礼を言う。主人は、わたしの横に腰を下ろすと盆に載せていた湯呑と饅頭をすすめてきた。

「いやあ、ちょうど置き薬が切れそうな頃だったんで助かった」

 主人は年のころは五十代に差し掛かろうかという男で、髪に白いものが混ざり始めている。背はわたしより少し高いくらいで、見た目は細身だが、百姓の男らしく盆を持っていた腕はがっちりとした筋肉質だった。

主人の、土仕事で硬くなった手から湯気の立った湯呑を受け取る。口元まで持ってくると、思ったほどの熱さではなく一気に半分ほどを飲み干す。

「ほかに、何か入り用な薬はありますか。よければお安くしときます」

「いやあ、大丈夫だねえ。じゃあ、これを」

わたしは湯呑を置くと、渡された置き薬の代金を確かめる。

「はい、確かに」

「このあとはどこか回るのかね。」

「今日はお宅で最後です。ここ二、三日でここらの集落を回っていましたが、それも今日で最後です。」

「どうだい、繁盛したかい?」

「まあ、そこそこです。」

「そうかい。」

確かに今回はそこそこの商売になった。この辺りの集落を回るのは初めてだったが、ちょうど農繁期が落ち着いた時期だったからか、一日にいくつかの家に寄らせてもらった。縁側に上がり、愛想の良さを押し出して商売を始める。

大切なのはこちらの土俵に相手を乗せてしまうことだ。喋り方や口調は相手によって変えるが、相手を自分の話に引き込ませてしまえば商売はたいていうまくいく。

「そういえばあんた、さっき田圃の方をずっと見ていたが、何か珍しいものでもあったかい?」

 わたしが饅頭を半分ほど食べていたところで、主人が聞いてきた。

「ええ。気になったのですが、あそこだけ田圃ではないんですね。」

 そういって、わたしは先ほどの田圃の一角を指さして聞く。

「ああ、あそこは呻り田だよ。」

 主人はこともなげに言った後で、わたしの湯呑に茶を足した。それに礼を言ってから、言葉を聞き返す。

「ウナリダ?つまり田圃ですか。」

「あそこはね」

 主人はどこから持ってきたのか自分の湯呑でゆっくりと茶を飲んでから続けた。

「あそこを耕すと、みんな呻るんだよ」

 ここら辺りの田圃は、みんな昔はある大きな地主の土地だったんだよ。昔と言ってもほんの十数年前の話だがね。

 それは裕福な家でなあ、俺も親父の代まではそこの小作人だったから何回か屋敷に言ったこともある。豪農という言葉が似あうような大きな屋敷だったよ。歴史も古い家だったから、どこかに隠し財産が眠っているんじゃないか、という噂も流れていたな。

 そこの当代の当主が、身代をつぶしてしまって家が傾いちまったんだ。一家は、それぞれ遠くの縁者を頼って散り散りなってしまったよ。だから、いまは違う地主や自作農の百姓の田圃になっている。だが、あそこの土地だけは今でもその地主の土地だ。名義だけらしいが。

 その前、つまり地主の土地になる前はお寺の土地だったそうだ。その頃、土地を田圃にしようという話があったらしい。けれども、いざ馬を使って耕そうとすると、馬が脚を挫いてしまった。結局、その馬は死んでしまったんだが、その後も別の馬や牛を使ってもまた同じように脚を挫いたり、具合が悪くなる始末だ。

 牛馬が無理なら人の手で耕そうとしたら今度は、農具が壊れたり怪我人が出たらしい。気味の悪い話だよな。

お寺もこれ以上悪いことが起きてはたまらない、ということで、お祓いをしてあそこを耕すのは止めたらしい。

呻るってのはどう意味かって?最初に耕すのに使った馬なんだがな、それが低い唸るような鳴き声を上げて苦しみながら死んでいったらしい。牛も同じように死んだらしいと聞いたよ。

「不思議な話ですねえ」

わたしは感心しながら頷いて、茶を飲んだ。これは面白い話を聞いた。

「それで、その話じゃあまだ唸り田はお寺の土地のままですよね。地主の土地になってからまた何かあったんですか?」

主人は苦笑いをして、

「まあ、そんなに慌てなさんな。どうせ、今日の商いはこれで終わりだろう。茶飲み話にゆっくり付き合ってくれてもいいじゃないかい。」

 と言うと盆をもって奥の方に下がっていく。何をしているのかと思ったが、湯を注ぐ音が聞こえてきて茶を淹れ直しているのだと気が付いた。

 主人の言うととおりだ。あまり急かすのはよくない。日の暮れまでにはまだ時間はあるわけだし、ゆっくりと話を聞いていればいい。

 少し経つと主人がまた縁側に戻ってきた。

 そこで気が付いたのだが、この家の奥さんはどうしたのだろうか。お茶を出すのも薬代を用意するのもみんな男の主人がやっている。

「奥さんはどこかへお出かけしているんですか?」

 気になるので聞いてみる。

「ああ、家内は町に買い物に行かせているんだ。ちょうど稲刈りが終わったんで隣近所何件かで宴会を開くんだ。それの買い出しさ」

 主人は腰を下ろしながらそういうと、わたしと自分の湯呑にまた茶を注ぎ、

「そういえば、酒を余計に買うように言えばよかったかな」

 と独り言のようにつぶやいて、さっき持ってきた饅頭を齧った。

「それで、どこまで話したかな?」

 そうそう、お寺があの土地に手を付けなくなってからしばらくしばらく経ったころ、ここら辺一体を開墾するという話が持ち上がった。

 話を持ち出したのは地主の当主だったんだが、どうやら事の始まりはお上からの依頼だったようだよ。

 土地を買い取って開墾を始めるまではよかった。だがあそこの呻り田だけがどうしても開墾できない。地主はもともと土地の人間だから、お寺があそこを田圃にしなかったわけを知っている。土地の百姓だってそれは同じだ。誰も気味悪がってあそこを開墾しようとしない。結局、呻り田以外は綺麗に水田になったのに、あそこだけが残ってしまった。

 さて、開墾がひと段落したところでお役人が視察に来た。そうすると広がる水田の中に一か所だけ開墾できていない土地がある。

 お役人は、あそこも開墾しろと地主に言う。地主は事情を説明して、あそこだけをそのまま残しておきたいと申し出るが、お役人は首を縦に振らない。まあ、役人としてはそれがお役目だから当然だろうな。けれども、地主や百姓連中だって自分から災難を引き寄せるようなことはしたくない。

 結局、痺れを切らしたお役人は、自分たちで開墾すると言い出した。

 土地の百姓から牛馬を借りることができなかったから、役所の人足を引き連れてきて人力で開墾を始めた。最初こそは、道具が壊れたりしたけれどそれでも仕事は順調に進んだ。

 土地の百姓の方でも、なんだ、あの話は迷信だったのかという声が上がって、地主も役人も安心したそうだよ。

 ところが、そうはいかなかった。

 当時の役所はここから遠いところにあったから、作業の人足は集落のはずれに小屋を建てて寝起きをしていた。その小屋に雷が落ちて火事になった。夜中のことだったらしい。中にいた人足はひとり残らず焼け死んでしまった。

 不運なことに、その夜はお役人も小屋に泊まっていたらしくて一緒に死んでしまった。

 もう少しで、呻り田が本当の田圃になるというので期待していた百姓たちは、やはり祟りだ、あそこはよくない土地なんだと土を埋め戻して元通りにしてしまったそうだよ。

 話を終えた主人はゴクリと茶を飲んだ。それから饅頭を半分に割って、それを齧った。

 わたしもつられて残りの饅頭を齧る。饅頭は皮の厚い小麦饅頭で、中には餡がぎっしり詰まっている。どうやら自家製らしいが餡がこれ以上ないほどに甘く胸焼けしそうなくらいだ。

 主人は甘ったるい饅頭を実に美味そうに食べている。案外甘党なのかもしれない。

「不気味な話もあるものですね。それ以来あそこはあのままになっているというわけですか」

「そういうことだね」

「怪談話としては面白いですね」

 正直、いろいろな場所を回っていると似たような話を聞く。やれ、あそこはこういう謂れがあるから立ち入ってはいけないとか、あそこはよくない土地だからとか。

「あそこでその昔何かがあったのかもしれませんね。刑場だったのかも」

「まあ、そういうこともあるのかもしれないがねえ」

 主人はまたお茶を飲んで続ける。

「もしかしたら本当になにか埋まっているのかもしれない」

「どういう意味です」

 わたしは思わず身を乗り出していた。

「耕すと悪いことが起こるということは、あそこを田圃にされては困る者がいるということだろう」

「誰かが開墾の邪魔をしていたということですか」

 主人の考えに興味が湧いてきた。

「最初の、お寺が開墾したときに失敗したというのは本当の話だと思うがね。たぶん信心深い人たちはそれを気味悪がったんだろうさ。それで、よくない噂が広がった。それを利用しようとした者がいるんじゃないかね」

「そいつが、誰も立ち寄らなくなった場所に何かを埋めたと?」

「大切なものか、見つかっては困るものか。そういったものを隠すのにはうってつけの場所じゃないか。けれども辺り一帯の開墾が始まった。それでも最初のうちは、誰も気味悪がって呻り田だけは開墾を進めなかったからよかった。お役人に言われても、百姓が開墾に協力しなければ大丈夫とでも思ったのかもしれない」

「けれども、そうはいかなかった。だから祟りに見せかけて役人と人足たちを殺してしまったと」

なんだかうすら寒い話になってきた。

「まあ、祟りだ何だと恐れるより、そう考えた方が理にかなっているじゃないか。もっとも、こっちの話の方が恐ろしいと思うがね。結局、一番怖いのは人間ってことか」

本当にそう思う。何を隠したにせよ、そのために何人もの人を殺すというのは狂気の沙汰としか思えない。本当に人間の欲や業というものには底がない。

「そうだとすると、怪しいのは没落した地主でしょうか」

「さあ、どうだろうねえ。どちらにしてもあそこはよくない土地だ。あんたも、余計な気は起こさない方がいいよ。あそこの関係で去年もけが人や行方知れずが出ているんだ」

 

 

日はとっぷり暮れて、辺りには虫の音がうるさいくらいに響いている。集落の明かりは頼りないくらいに遠くに見える。

最後の家で茶と饅頭をご馳走になってから集落を出たわたしは、しばらく街道に向かう道を歩いていた。そして、集落の境目を流れている川にかかる橋まで来ると、道を外れて橋と土手の陰に身を隠した。例の呻り田に行くためだ。

ここ二、三日、商売で歩く中で大きな地主の家が何年か前に没落したという話を何度か聞いた。そこの隠し財産がどこかにあるのではないか、という過去の噂も耳に入ってきた。まあ、その類の噂話は旧家が没落した後ではよく聞くものだ。

しかし、呻り田の言い伝えをある家で聞いたときにもしかしたら、と思った。わたしが古くからの伝承や民俗に興味があるような話をすると、詳しい伝承を知っている家を教えられた。それが最後に訪れた家だった。

わたしはモグリの行商人だ。この格好や商売道具も、ある宿屋で一緒になった本物の行商人から賭けに勝って分捕ったものだ。その恰好をして、色んな土地をめぐりながら小銭を稼いでいる。ところが、その稼ぎの元となる置き薬も底をついてきて、そろそろ他の稼ぎ口を探そうと思案していたところだった。

ちょうどいい話を聞いたと思った。まあ、大体が眉唾ものの言い伝えだろうと思ったが、もしそれで一山あてられたなら、しばらくの間は金の心配はしなくて済む。でたらめだったとしたら、それまでだ。そう考えて家の主人から話を聞きだした。

奴さん、こちらがその気にさせて話を振ると、とどんどんと喋ってくれた。大切なのは、相手を自分の土俵に載せてしまうことだ。

さて、確かここら辺のはずだと思ったが。

 暗がりに慣れた目であぜ道を進んでいくと、目的の呻り田に辿り着いた。

 背負っていた荷物の中から、片手で扱えるスコップを取り出すと、ひざをついてどこを掘ろうかと考える。すると、草が刈られた地面の中で、土が柔らかくなっている場所を見つけた。これはしめたとスコップを地面に突き刺そうとする。

 

暗転

 

 仕事は片が付いた。俺が背後に来るまで、あの男気づきもしなかった。ずっと膝をついて地面を探っていたから当然だろう。男の頭を殴って昏倒させることは楽だった。そのままうずくまって呻っていたので、もう一発殴るとそのまま動かなくなった。

 そこからは、まだ生暖かい男の死体から身包みをはいで現金や金目の物を奪っていく。行商人と言っていたので稼いでいるかなと思ったが、現金以外で換金できそうなものはほとんどなかった。金の方も大した金額ではないので、本当にそこそこの商売だったらしい。

 呻り田の話に誘導するのは簡単だった。相手が知りたいと思うことを小出しにして教えてやればいいのだ。そうすると相手はこちらの思うように動いてくれる。

 昔の隠し財産が今も土の中で眠ったままなわけがないといった考えや、そんな財産があるのだったら家が没落する前に使っただろうなどという思考はこの場合、意味をなさない。見たいと思うもの、欲しいと思うものにあと少しで指先が届くという幻想を見せてやれば、人は合理的な結論よりも幻に飛びつくため跳躍するのだ。

 呻り田の言い伝えのいくつかは、実際に起こったことだろう。人足小屋に雷が落ちて焼けたとことや、開墾で牛馬が怪我をして使えなくなったことなどは実際に起こりそうなことだ。けれども、その言い伝えのほとんどは、時代を経るごとに誇張されて伝わったものだろう。伝承や噂話に尾ひれがつくのはよくあることだ。

 大地主の家が没落してから、隠し財産の噂とそんな呻り田の言い伝えを結び付けて考える人間が時たま集落を訪ねてくるようになった。俺は深刻そうな口調で民話を聴かせるように話をする。すると、男たちは面白いように人気のない時刻に呻り田に誘い出されてくる。そこを襲って金目の物を奪う。その他の衣類などは死体と一緒にその場に埋めてしまえば、行商人や風来坊などの行方を気にする人間はいない。

 さて、それじゃあ家路につくとしよう。家では今日の収穫を待っている。

 ふと振り向くと、そこには何もなかったような暗闇が広がっている。

「だから、余計な気は起こさないようにと言っただろう」

 

おわり