心の中のメスシリンダー  鼠穴と赤ずきん

 

よく幸せの総量、涙の総量なんて言葉を聞く。

なんでも聞くところによると、この世界の幸せの総量は決まっていて、ぼくたちはそれを分け合うゼロサムゲームをしているらしい。

それは大変だ。それなら僕の幸せをみんなに分けてあげなくちゃ。けれども分配できるほどの幸せを持っているだろうか。

僕はご飯を食べると幸せになる。ゼロサムゲームというなら、僕がご飯を我慢することによって生じる不幸せと同量の幸せを誰かがもらわなくちゃいけないだろう。けれども、ご飯を残すと料理をしてくれた人は不幸せになるだろう。外食を控えると外食産業は不幸せになる。本当にムツカシイ。

幸せの量をメスシリンダーとかで測れるようにしてほしい。そうすれば「この目盛分の幸せを誰かにあげますよ」といえるではないか。これぞ本当のゼロサムゲームだ。

同じように、人それぞれの涙もメスシリンダーに入って総量が決められているのだろうか。そうしたら大変だ。なるべく涙を流さないように我慢しなくちゃいけない。でもそうすると冷徹な人間と思われるだろうか。本当にムツカシイ。

 

僕はよく落語を聴くのだけれど、人情噺には涙が出る。

古今亭志ん朝さんの『芝浜』や、桂米朝さんの『たちきり線香』などは車の運転中にCD音源で聴いても感動した。柳家喬太郎さんの『文七元結』での、長兵衛と文七のやり取りはいつもの滑稽ものの時とは違い鬼気迫るものがあって、驚きつつも口演に引き込まれていた。

最近では、立川談春さんの噺を聴いたときのことが特に印象深く記憶に残っている。

 

長野の須坂での独演会のことだ。確か前半の演目が『禁酒番屋』という滑稽噺で涙が出るほど笑った。談春さんの口演はこれまでCDでしか聞いたことがなかったから、ワクワクドキドキしながら楽しんでいた。

仲入り(休憩時間)を挟んで始まったのが『鼠穴』という噺。

僕はそれまでこの演目を聴いたことはなかったけれど、途中で、これ鼠穴だよなと気が付いた。本で読んで知っていたのだ。本といっても落語の全集とかではない。北村薫さんの短編集『空飛ぶ馬』に収録されている『赤ずきん』の中でほんの少しだけあらすじが語られていた。

 

田舎で失敗して江戸の兄を頼ってきた弟。けれども、兄が渡したのはたった三文の銭だけ。弟はその銭で商売を始めていくが………。という噺だ。

 

その口演の途中、談春さんは「三文から商売を始めた、といっても稼いでいく間の弟はどうやって生活をしていたのか。色んな噺家にこのことを聞いたことがあるが、納得のいく答えを聞いたことがない」というようなことをおっしゃっていた。

その時僕は、思わずはっとした。全く同じような台詞を『赤ずきん』の中で読んだからだ。

 

「僕などはすぐに、≪三文から増やしていく間の生活費はどうしていたのか≫と考えてしまうんですよ。」

 

この言葉自体は、物語の本筋には直接関係しない、枝葉の部分だけれどなんとなく心に残っていた。それが不意に思い出されて、そこからは談春さんの口演に引き込まれてしまった。

 

弟は少しずつ商売を大きくしていき、何年か後には屋敷に蔵をいくつも持つような大商人になる。そして何年かぶりに兄のところへ銭を返しに現れる。その時、兄はたった三文の銭しか与えなかった理由を明かすのだ。

 

その場面で僕は思わずボロボロと涙を流してしまった。

僕は談春さん以外が口演したこの演目を聴いたことがないけれど、ここまで泣くような口演は一生に何度出会えるだろうかと思った。

そしてもうひとつ思ったのは、何かに涙を流したり感動したりするのは、その受け手側、つまり僕自身に結構依存するのではないかということだ。

 

僕は、自分の中に涙が溜まったメスシリンダーがあるのを想像する。その中に、これまでの経験だったり、思い出だったりという名前の宝石が貯められていく。すると、メスシリンダーの中の”かさ”は増えていき、溢れんばかりの状態になる。そこで何か、些細なことで心がさざ波立つと、容器から涙がここぼれるのだ。

心をさざ波立たせるのは、共感だったり演者の巧みさだったり色々あるだろう。けれどもそれは単なるきっかけに過ぎないのかもしれない。涙が流れるのは、もっと深い深い、僕自身の心の中に沈んでいる宝石たちが、心のメスシリンダーの中で涙を”かさまし”させたからだ。僕がため込んだ宝石の大きさや量が、感受性の”もと”となっているのかも知れない。

たぶん、沈んでいる宝石のひとつひとつは大きなものも些細なものも色々ある。けれどもその大きさに関係なく、そのどれもが気付かないうちに僕の中で大切な宝物になっている。

この、談春さんの『鼠穴』で泣いたという思い出も、『赤ずきん』とのつながりも僕の中で大切な宝石となっていくはずだ。

そう考えると、涙の総量なんて気にしなくていい。涙の量が少なくなってもビーカーの中には大切な宝石たちがたくさん詰まっているのだから。

これからも、日常の中で見つけた宝石たちをしっかりと心のメスシリンダーにため込んでいこうと思う。そのためには、きちんと目を見開いて、耳をすまし、両手で広げた目に見えない網で取りこぼさないようにしなくては。

 

けれども待てよ。そうすると今度は、涙腺に石が詰まることを気にしなくてないけないのだろうか。本当にムツカシイ。

 

 

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

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