呻り田

 去年の夏に学生時代の同期たちで作った同人誌に寄稿した小説です。

 時代は昭和中期モータリゼーションがまだ進んでいない田舎が舞台のお話です。

 

 

 

 

 見渡す田園地帯は、刈り取られた稲わらを干す稲木で溢れていた。

 縁側に腰かけて見渡すと、遠く山のふもとの集落まで稲刈りを終えた田圃が広がっている。そのいくつもの田園風景のなかで、一か所台地のように盛り上がり耕作されていない場所がふと目に着いた。田園風景の中でぽつんと浮かび上がっているようなその場所に意識を集中させようとしたところで、後ろから声をかけられた。

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心の中のメスシリンダー  鼠穴と赤ずきん

 

よく幸せの総量、涙の総量なんて言葉を聞く。

なんでも聞くところによると、この世界の幸せの総量は決まっていて、ぼくたちはそれを分け合うゼロサムゲームをしているらしい。

それは大変だ。それなら僕の幸せをみんなに分けてあげなくちゃ。けれども分配できるほどの幸せを持っているだろうか。

僕はご飯を食べると幸せになる。ゼロサムゲームというなら、僕がご飯を我慢することによって生じる不幸せと同量の幸せを誰かがもらわなくちゃいけないだろう。けれども、ご飯を残すと料理をしてくれた人は不幸せになるだろう。外食を控えると外食産業は不幸せになる。本当にムツカシイ。

幸せの量をメスシリンダーとかで測れるようにしてほしい。そうすれば「この目盛分の幸せを誰かにあげますよ」といえるではないか。これぞ本当のゼロサムゲームだ。

同じように、人それぞれの涙もメスシリンダーに入って総量が決められているのだろうか。そうしたら大変だ。なるべく涙を流さないように我慢しなくちゃいけない。でもそうすると冷徹な人間と思われるだろうか。本当にムツカシイ。

 

僕はよく落語を聴くのだけれど、人情噺には涙が出る。

古今亭志ん朝さんの『芝浜』や、桂米朝さんの『たちきり線香』などは車の運転中にCD音源で聴いても感動した。柳家喬太郎さんの『文七元結』での、長兵衛と文七のやり取りはいつもの滑稽ものの時とは違い鬼気迫るものがあって、驚きつつも口演に引き込まれていた。

最近では、立川談春さんの噺を聴いたときのことが特に印象深く記憶に残っている。

 

長野の須坂での独演会のことだ。確か前半の演目が『禁酒番屋』という滑稽噺で涙が出るほど笑った。談春さんの口演はこれまでCDでしか聞いたことがなかったから、ワクワクドキドキしながら楽しんでいた。

仲入り(休憩時間)を挟んで始まったのが『鼠穴』という噺。

僕はそれまでこの演目を聴いたことはなかったけれど、途中で、これ鼠穴だよなと気が付いた。本で読んで知っていたのだ。本といっても落語の全集とかではない。北村薫さんの短編集『空飛ぶ馬』に収録されている『赤ずきん』の中でほんの少しだけあらすじが語られていた。

 

田舎で失敗して江戸の兄を頼ってきた弟。けれども、兄が渡したのはたった三文の銭だけ。弟はその銭で商売を始めていくが………。という噺だ。

 

その口演の途中、談春さんは「三文から商売を始めた、といっても稼いでいく間の弟はどうやって生活をしていたのか。色んな噺家にこのことを聞いたことがあるが、納得のいく答えを聞いたことがない」というようなことをおっしゃっていた。

その時僕は、思わずはっとした。全く同じような台詞を『赤ずきん』の中で読んだからだ。

 

「僕などはすぐに、≪三文から増やしていく間の生活費はどうしていたのか≫と考えてしまうんですよ。」

 

この言葉自体は、物語の本筋には直接関係しない、枝葉の部分だけれどなんとなく心に残っていた。それが不意に思い出されて、そこからは談春さんの口演に引き込まれてしまった。

 

弟は少しずつ商売を大きくしていき、何年か後には屋敷に蔵をいくつも持つような大商人になる。そして何年かぶりに兄のところへ銭を返しに現れる。その時、兄はたった三文の銭しか与えなかった理由を明かすのだ。

 

その場面で僕は思わずボロボロと涙を流してしまった。

僕は談春さん以外が口演したこの演目を聴いたことがないけれど、ここまで泣くような口演は一生に何度出会えるだろうかと思った。

そしてもうひとつ思ったのは、何かに涙を流したり感動したりするのは、その受け手側、つまり僕自身に結構依存するのではないかということだ。

 

僕は、自分の中に涙が溜まったメスシリンダーがあるのを想像する。その中に、これまでの経験だったり、思い出だったりという名前の宝石が貯められていく。すると、メスシリンダーの中の”かさ”は増えていき、溢れんばかりの状態になる。そこで何か、些細なことで心がさざ波立つと、容器から涙がここぼれるのだ。

心をさざ波立たせるのは、共感だったり演者の巧みさだったり色々あるだろう。けれどもそれは単なるきっかけに過ぎないのかもしれない。涙が流れるのは、もっと深い深い、僕自身の心の中に沈んでいる宝石たちが、心のメスシリンダーの中で涙を”かさまし”させたからだ。僕がため込んだ宝石の大きさや量が、感受性の”もと”となっているのかも知れない。

たぶん、沈んでいる宝石のひとつひとつは大きなものも些細なものも色々ある。けれどもその大きさに関係なく、そのどれもが気付かないうちに僕の中で大切な宝物になっている。

この、談春さんの『鼠穴』で泣いたという思い出も、『赤ずきん』とのつながりも僕の中で大切な宝石となっていくはずだ。

そう考えると、涙の総量なんて気にしなくていい。涙の量が少なくなってもビーカーの中には大切な宝石たちがたくさん詰まっているのだから。

これからも、日常の中で見つけた宝石たちをしっかりと心のメスシリンダーにため込んでいこうと思う。そのためには、きちんと目を見開いて、耳をすまし、両手で広げた目に見えない網で取りこぼさないようにしなくては。

 

けれども待てよ。そうすると今度は、涙腺に石が詰まることを気にしなくてないけないのだろうか。本当にムツカシイ。

 

 

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 

 

 

『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』を読んで

 先週から今週にかけて、図書館で借りた『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』という本を読んでいた。そこに綴られている、戦争中の子供時代を回想する短い文章のひとつひとつが悲しく、皮肉で、そして何より美しい。

  

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雪の日

   車の外では雪がちらつき始めている。朝のニュースの天気予報では夕方から降雪と言っていたがこんな時に予報が当たらなくてもいいではないかと思う。

 わたしは今高速道路出口脇の待機スペースに車を停めて電話を待っている。ドアのすぐわきにはネクスコの職員さんがひとり立っていてちらつき始めた雪を恨めし気に見上げてしかしすぐにわたしの方へ視線を戻した。正確にはわたしの携帯電話にだろうか。

 女が1人若い男性を侍らせていると思えば格好もつくだろうけれど生憎そんな情緒のある話ではない。なぜならわたしは高速道路を無賃利用してこんなことになっているのだ。むろんわざとではない。

 今日は遠方への出張で朝から車を運転していた。不運は前日から始まった。今日の出張自体は前々から決まっていたので、事前に会社の社用車も一日予約していたのだ。しかし前日、つまり昨日その社用車が事故にあってしまった。わたしも知っている同僚が運転して出張に出ていたのだが、信号待ちの最中に後ろから追突された。信号待ちをしていた3台の最後尾に停車していたところを追突されてしまったので玉突き事故になってしまったのだ。幸いその同僚に怪我はなく大事に至らずに済んだが車の方はそうもいかなかった。フロントもリアバンパーも無残な姿で自走してきた車はすぐに修理業者に引き渡されて全治3週間の修理中だ。不運は重なるものでその時点で他に今日使用できる社用車はなく、わたしの自家用車も修理中で返却は明日土曜日の予定だった。先週の日曜日に修理に出したのだけれど普段はバス通勤だし次の週末には修理が終わって返ってくるというので代車を頼んでいなかったことも失敗した。出張を取りやめることも考えたが訪問先のひとつからどうしても今日来てほしい旨頼まれていたこともあって仕方なしに会社の総務にレンタカーを頼んで手配してもらったのだった。

 いつもの社用車であればETCで高速道路を利用する。もちろんこのレンタカーにもETCの車載器はついている。社用のカードを車載器に入れれば使えるだろう。そのつもりだったが肝心のETCカードの方が不具合で総務が再発行を依頼していた。自分用のETCカードは家に置いてきていたため仕方なく一般レーンから高速道路を利用した。行きも帰りもだ。

 特に何事もなく出張先での仕事を終えて最寄りのインターチェンジから高速道路へ入場し途中のサービスエリアで休憩もすることなく会社近くの料金所まで帰ってきた。車を停止させ通行券を職員さんに渡しさて精算という段になって財布がなかなか見つからない。そんなはずはないだろうと助手席のバッグの中を漁り始めるがなかなか出てこない。そうしているうちに見かねた職員さんから「とりあえず待機スペースへ回ってください。別の者が対応しますので」と言われてしまった。バックミラーを確認すると後ろには順番待ちの車が停車していて運転手がまだかまだかといいそうな視線をわたしに送っている。

 わたしは恥ずかしい気持ちを押しこらえながら「すみません」と謝り、ついでに心の中では後ろの運転手さんにも謝りながらゆっくりと車を待機スペースに移動させた。

 料金所脇の建物の中から職員さんが来る間もバッグの中や車内を探すがなかなか見つからない。

「財布を忘れたんですか。」

 職員さんはそう質問したがそんなはずはない。朝も一般レーンから入場して出張先で現金精算をしたのだから。そう言おうとして思い出した。

「途中に寄ったコンビニに忘れてきたかもしれません…。」

 最後の訪問先を後にした後お手洗いを借りにコンビニに立ち寄った。別に何かを買うつもりはなかったけれどお手洗いを借りるだけなのも気が引けて財布も手にして車から降りたのだった。その時に財布だけを忘れてきたのかもしれない。

 うろ覚えのコンビニの場所をスマートフォンの地図アプリで検索して電話をかけてみると対応してくれた店員さんはとりあえず探して折り返し電話をくれるということだった。その電話を待っているのだ。

 

 相手からの電話を待っている時間とはすなわち何もすることができない時間なのだということを今ほど実感することはなかった。いつもの空き時間なら小説を読んだりスマートフォンをいじったりして時間をつぶすのだけれど車の外で人を待たせながらそんなことをできるほどわたしは図々しくはない。いっそそれくらいの性格だったのならもっと気が楽だったろうに。

 ふと職員さんを見ると目が合ってしまった。冬場に道路で働くだけあって防寒ジャケットを着て手袋をつけているけれどそれでも寒いものは寒いのだろう、少し体を震わせている。車内で待ってもらおうかとも思うけれどそれはお互い気まずいだろう。思わず、

「すいません」

と口にして頭を下げる。

 「いえ、これが仕事ですから。それよりも財布あるといいですね。」

 困ったような笑顔で応えてくれるその気遣いが申し訳なくて彼から目を背けてしまう。まったく、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。

 今日はわたしの誕生日だから休憩もせずに早めに帰ってきたというのにまったく嫌になる。一人暮らしの家に帰っても、ケーキが用意してあるわけでもおめでとうの言葉をかけるのに待ってくれる人もいないのだけれど、それでも今日は残業をせずに帰るつもりでいたのに。

 思い返すとこれまでこんなことばかりだ。友人の結婚式の当日には祝儀袋を間違えるし、図書館に貸し出し予約をしていた本が届いたのは長期の旅行に出発する当日だし、出かけた先では家の鍵を忘れてくる。こんな間抜けな女には腹が立って仕方がない、その腹をたてるのはよりによって自分自身に対してなのだから尚更たちが悪い。どうしてこんな星の下に生まれてしまったのだろうか。

 そう思っていると手元で携帯電話が震えだした。表示される番号は先ほどかけたコンビニのもの。すぐさま出ると先ほど対応してくれた店員さんがそれらしき財布を見つけたとのこと。とりあえず口頭で中身を確認すると財布に入っていた保険証でわたしのものだと確認できた。すぐ取りに行くことができないのでお店で保管してもらうことをお願いすると快く承知してくれた。

 「財布あったみたいで良かったですね。利用料金を後日払っていただく手続きをしますから、運転免許証と車検証を持って事務所まで来てください。」

 電話を切るのを待って職員さんが話しかけてくれた。

 「はい、ご心配をおかけしました。」

 言われたとおり免許証と車検証を持って車から出て職員さんについていこうとする。するとまた携帯電話が震えだした。また電話かとも思うけれどすぐに止まったのでおそらくメールだろう。気になって画面を開いてみると母からだった。

『誕生日おめでとう。そっちは雪らしいけれど大丈夫ですか?身体には気をつけて。』

 たったこれだけの短い文章なのに読んだ途端にそれまでの暗くて自分を虐めていた気持ちがだんだん晴れていく。多分どんな人だろうと自分を祝福してくれる言葉には救われるのだろう。そしてこの使い古された短い言葉はどんな格言や崇高な文句にも負けない祝福の魔法を持っている。「誕生日おめでとう」

 高速道路の事務所に入り必要書類を渡し後日精算の書類を発行してもらうまで待っていると窓の外ではいよいよ雪が本格的に降り始めてしまった。吹雪く前に会社に戻れるかと心配していると名前を呼ばれ先ほどの職員さんから料金の後日精算の書類を渡された。

 「今日から7日以内に精算してください。精算場所はどこの料金所でも大丈夫です。」

 そう言うとさっき渡した免許証と車検証も返してくれた。その時にふと免許証に目を落としていた彼が顔を上げて笑顔になった。

 「それからお誕生日おめでとうございます。災難でしたけれど良いことがありますよ。」

 書類や車検証と一緒に笑顔と祝福をもらったわたしは嬉しくなって、

「ありがとうございます」

と精一杯の笑顔で応えてお辞儀をして事務所から車に帰る。冷え込み始めた冬の夜はしんしんと雪が強さを増している。その中でもわたしの中は温もりでいっぱいだった。

2人の遊戯

 鍋の中で油がぱちぱち跳ねる音がしている。油の温度を確認するためにたらした小麦粉が音を立てて浮かんできた。温度はこんなものだろう。

 醤油と酒とショウガで下味をつけた鶏肉は既に白い小麦粉にまみれている。それをひとつずつ適温になった油の中に入れて揚げていく。出かける前に彼女が注いでくれたビールを飲みながら、徐々にきつね色に変わっていく鶏肉の様子を見ているとお腹が空いてくる。

 「ただいま。」

 彼女が帰ってきた。買い物バッグをあけて牛乳やら豆腐やらを冷蔵庫に入れていく。

 「そういえばスーパーからの帰り道に駅前の通りを通ったらビルのモニターで美術館の企画展の宣伝をしていたわ。確かロマノフ朝の秘宝展だって。あなた好きでしょこういうの。

 「まあね。そうだ、冷蔵庫の中にレタスがあるからそれでサラダを作ってよ。」

 そう言って揚げ物を続ける。ふとズボンのポケットの中に忍ばせた小瓶に手を触れる。大丈夫だきちんとある。彼女の命を終わらせる凶器はきちんと持っている。

 「わかった。それにしてもロマノフ朝の秘宝って何かしら。モニターでは卵のようなものが映っていたけれど。」

 「それはインペリアル・イースター・エッグじゃないかい。皇帝が皇后のために作らせて毎年贈っていたそうだよ。確か全部で50個作らせたそうだけれど革命の余波でロシア国外に散逸してしまってそのうちいくつかは未だに行方知れずらしい。」

 唐揚げを油の中からお皿に取りながらふと僕はなぜ彼女を殺そうとしているのか思い出そうとした。最初のきっかけは何だったろうか、今はもう思い出せない。それでもこの毒薬を手に入れたのは昨日今日のことではないはずだ。手に入れたときは確かに何か理由を持っていたと思う。自殺用だったのだろうか。それも今は思い出せない。

 「ロシア革命か。家族全員が処刑されてしまうなんて皇帝一家も不運だったわよね。一般市民の家庭に生まれていればそんなことにならずに済んだのに。」

 「まあ、あの時代に一般市民として生まれていたとしても幸せだったかどうかはわからないよ。帝政末期から革命と戦争の時代だったわけだし。でもそうだね、一家そろって処刑なんて運命にはならなかったかもしれない。人間は生まれる場所や時代を選べない。その不幸は何も貧しい人にとってのこととは限らないのかもしれないね。

 彼女はシンクでレタスを洗いざるにあげて水をきっていく。ボウルの中に塩コショウを振りそこへレタスをちぎって入れていく。そしてレモン果汁とオリーブオイルを注ぎ菜箸で混ぜ始める。彼女はドレッシングの類をあまり使わない。

 味見してみてとレタスをひと切れ差し出してくる。一口食べて少し苦みが強いレタスだなと思うがいいんじゃないかいと応える。

 「ロマノフ朝と言えば司馬遼太郎が小説の中で最後の皇帝ニコライ二世のことをさんざんこき下ろしていたっけ。失政の責任は統治者ひとりの責任に帰される。なんだか可哀そうだね。」

 「でも家族に取り入った男の言いなりになって国を混乱させてしまうなんて非難されても仕方ないでしょ。だいいちラスプーチンなんて妖怪の類よ。毒を飲んでも死なないなんて。そんな妖怪を取り巻きに持つ方もどうかしてるわ。」

 一瞬ドキリとするけれども顔は平静を保つ。

 「けれども国が傾くのはひとりの責任ではないんじゃないかな。国が乱れたり滅びたりするのにはいろいろな原因があるわけで、誰かひとりや取り巻きの責任だけではないと思うよ。そんな小さな責任で傾くほど国家とか組織って簡単なものじゃないよ。」

 唐揚げを盛った皿をテーブルへ運ぶ。すこし頭がぼやけてきて足どりが重い気がするけれどこれもビールのせいだろうな。人殺しなんて酔っぱらっていないと実行できない。

こんな他愛もない会話を繰り返す生活をずっとしてきたけれどどうして毒を手に入れたのだろうか。誰に何のためにかはもう思い出せないけれど、手に入れた時は本当に使う気でいたのだろう。手に入れた理由はたぶんほんの些細なことではないだろうか。「魔が差した」というものだ。それからその凶器は使われずにずっとこの家の中で隠されていた。僕が寝室でそれを見つけるまでは。

 それはついこの間のことだった。手にするとそれが命を奪うものだということはすぐわかった。手にした途端どうしようもなく使いたくなった。だからたぶん僕が彼女を殺そうとするのはただ単に殺したいからだ。それ以上の理由はありはしない。たぶん見つけたのが古い映画のVHSやDVDだったとしたらそれを彼女と一緒に観ただろうし。レコードやCDだったとしたら一緒に聴いただろう。

 キッチンの彼女の隣に戻ってくるとグラスをあおり残っていたビールを一気に飲み干す。黒ビールだったから飲んでいるときは気付かなかったけれどグラスの底に澱のようなものが少し残っている。空き缶の底を見てみると賞味期限がわずかにすぎている。これまであまり気にしてこなかったけれどやはりビールの賞味期限も気にした方がよさそうだ。

 「ちょっとまだ酔っぱらわないでよ。」

 「大丈夫だよ。まだ一杯しか飲んでいないんだから。」

 二杯目のビールと作り置きのおかずを取り出そうと冷蔵庫の扉を開ける。お目当てのビール缶を一本と野菜のおひたしや漬物が入っている容器をいくつか取り出すと冷蔵庫の中に新参者が鎮座していることに気づいた。

 「あれ、デザートを買ってくるなら二人分買ってきてよ。」

 「ああ、ごめん忘れていた。」サラダのボウルと小皿をテーブルに運んでいる彼女の顔はここからは見えない。

 まあいいかと思い缶ビールの賞味期限を見てみると今度は大丈夫だ。プルタブをあけグラスには注がずにそのまま飲む。

 「やっぱり黒ビールは合わないのかなあ。」

 さっきほどではないけれどいつものビールより苦みが強い気がする。

 「じゃあわたしは普通のラガーにするわ。」

 そう言って彼女は自分も冷蔵庫から缶ビールを取り出してシンクの隣に置く。彼女はビールを飲むとき必ず常温に戻してから飲む。ラガーでもエールでも黒ビールでも何でもだ。

 「お皿とグラスをとってくれない。漬物とかを盛り付けるから。」

 ぼくは彼女を背にして食器棚から小皿をいくつかとグラスをひとつと取り出して小皿の方は彼女に渡す。渡すときに上手く渡せず落としそうになった。彼女は気にした様子もなく「本当に酔っぱらわないでよ」と言ったけれど。僕はひやひやした。やはり人を殺すということへの恐怖だろうか。

 「それにしてどうしてセロリでお浸しなんか作ったのかしら。」

 「セロリが安かったからだね。」

 「わたしセロリの青臭い匂いが苦手なんだけれどこのお浸しはあまり気にならない。たぶんお酢と醤油のおかげかしら。」

 「たぶんそうだろうね。僕もあの独特の匂いは好きじゃないからどうしようかと思ったよ。あと味噌とか麹でつけたりしても青臭さは軽くなるね。」

 そうなんだとあまり関心もなさそうに彼女はセロリのお浸しを小皿に盛り付けていく。

 「そういえばセロリの香りの成分はパセリと同じそうよ。それでもって昔は薬用として重宝されたんですって。あなた知ってる?」

 彼女の瞳が面白そうに輝く。僕は知らないなあと誤魔化す。パセリやセロリ香りの主成分はアピオール。その古代から知られる薬効は中絶。日常生活で一般的に摂取する量なら問題はないだろうけれど女性の目の前で口にする内容じゃない。この様子じゃ彼女は知っているだろう。それで僕をからかっているわけか。

 彼女が小皿を手にしてテーブルに向かうとポケットの中から容器を取り出してその中身を全部グラスに入れビールを注ぐ。小瓶の蓋はうまくあけることができずプルタブを起こすのにも手間取ったけれど何とかすべてを終わらせることができた。

 お盆に自分の分のビールも載せて運ぼうとすると足が少しもつれて転びそうになった。幸い戻ってきた彼女がお盆を持ってくれてグラスやビールが落ちたりこぼれたりすることはなかった。僕はありがとうとだけ言って彼女の後に続いていく。

 調べたところではこの毒は即効性らしい。彼女の死に顔を見るのは辛いだろうけれど自分の行動の結果くらいは見届けないといけないだろう。

 テーブルの椅子に座るとなんだか疲れがどっと出てきたような気がする。もう二度とここから立ち上がれないような全身が重くなったような気分だ。

 ふと彼女の方を見ると本棚に近寄って何かを探している。探し物はすぐに見つかったようで一冊の本を手にして戻ってくる。手にしていたのは「ソクラテスの弁明」だった。

 「わたし、この話が嫌いなのよ。ソクラテスは裁判で死刑を宣告された後牢屋番にお金を渡して逃げることもできたのよ。アテナイから他国に亡命することだってできた。それなのに、悪法もまた法なりとか言って毒をあおったの。その信念は立派だと思うけれどやっぱり死んだら何にもならないと思うのよね。」

 西洋哲学者を半分くらい敵に回すような言葉だね、と言おうとしたけれどうまく言葉が出てこない。

 彼女がグラスをかかげたので僕もそれに倣おうと持っていた缶ビールをかかげる。けれども手から力が抜けて缶ビールを落としてしまった。

 瞼がだんだんと重くなってきて平衡感覚がなくなってくる。椅子からずり落ちているんだなと気付いたけれどその感覚はすごくゆっくりとしたものだった。

 床に打ち付けられ衝撃を全身が走るけれどその感覚もすごく鈍い。

 彼女の声が聞こえる。

 「ソクラテスが飲んだのはドクニンジンの毒らしいわ。ドクゼリという説もあるらしいけれど。何の毒だとしても死んだ人には関係ないことよね何にしても死の直後まで弟子たちにこんな説教をしているのだからたいしたものだわ。死ぬこと自体に恐怖はなかったのかしら。」

 目をあけると視界ぎりぎりにテーブルの向こう側にいる彼女が見えた。彼女も僕を見ていた。

 「でもわたしはそんなのごめんだわ。死ぬのは嫌だし殺されるのはもっと嫌。」

 ああそうだねと口にしようとするけれど口が開かない。口だけでなく体中が化石になったみたいに動かない。ドクニンジンやドクゼリの毒の成分は神経毒のコニイン。確かビールに入れて殺人に使った小説があったなと他愛もないことを思い出す。

 彼女の目を見ると嘲笑とも哀れみともつかない微笑が浮かんでいた。

 今回は小説ではありません。この一週間で感じたこととか思ったことをつらつらと書いていくだけにします。いうなれば日記みたいなもの?

 

報道に感情は不要?

 ついこの間ニュースとか報道について感情を排してAIとかに任せていればいいという意見を聞いた。それとは全然関連がないのだけれど2年位前の熊本自身の時にドローンで撮影した映像を指して「こういう迷惑がかからない報道がいちばんだよね」的なことを聞いて、いやあそれは違うんじゃないかなと思ったんです。

 ニュースや新聞記事は事実だけを伝えていればいい、という意見は正論である様に見えてどこかずれているような気がする。だって何かの事件やある情報を報道って突き詰めていくと記者さんとかの「これを伝えたい!」とか現場の人たちの「伝えてほしい」という気持ちから発生しているんじゃないかなと思うんです。結局感情から発生しているもの何だからそこから感情を排してしまうと何も残らないし、大事なことは何も伝わらないんじゃないかなと。

 確かにAI技術は今後も発展していくだろうしNHKとかのニュースに出てくるAIはすごいなあ思うけれど、人に何かを伝えることって最後のところで人間が媒介となることが重要になるのではないかなあ。

小説で書きたいこと。

 ライティングスクールで小説を書いている。それでいくつか書いているとなんとなく自分で書きたいものが見えてくるような気がする。生活だったり、何かの意見だったり、それは人それぞれだろうけれど私の場合たぶんそれは「最後の場面」なんだろうなあと最近気づいた。

 最後のある場面を書きたくて小説の冒頭から中盤までを書いていることが多くなっている気がする。この姿勢が正解なのかはわからないけれど当分この姿勢で書き続けてみようと思う。

 

本と涙

 昼休みの職場近くの喫茶店。本を読みながら注文したクラブハウスサンドが来るのを待っている。

 いつもなら同僚とお弁当を囲んでいるところだけれど今日はその同僚が休み。そして今朝はお弁当を作れなかった。目を覚まして時計を見たらいつもより一時間近く針が進んでいた。

 一瞬状況が理解できなかったけれど次の瞬間起き上がり大急ぎで出勤の準備を始めた。何のことはない寝坊をしたのだ。久々の朝寝坊だった。幸い遅刻にはならなかったけれど弁当を作る余裕はなかった。

 寝坊の理由はこの本だ。夜中から読み始めて夢中になり夜更かしをしてしまった。

 普段わたしは本、特に小説の類を自分からは読まない。

 弟は反対に本を読む。昔から自他共に趣味が読書と認めるほどによく本を読んでいる。わたしは幼いころから部屋に閉じこもって読書をするよりも、外で友達と遊ぶことの方が好きだった。お転婆、とまではいかないまでも活動的な性格であったと思う。

 活動的な姉と少し内気で家の中でよく本を読む弟。よそさまの兄弟姉妹のことはあまり知らないけれど、幼いころのわたしは弟をよく泣かせていた。それでも破滅的に仲が悪くなったことはないのだから、あれも子供同士のじゃれ合いだったのだろうと今にすれば思う。

 弟は本を読んでいるときに時々感傷的になることがあった。何度かひとりで涙を流しているところに遭遇したことがあるけれど、あれは本当に気まずい。弟の方でもそれは同じようで、わたしに見られたことに気づくと顔を真っ赤にさせてそっぽを向いてしまう。

 ある時わたしは弟に、どうしてそんなに泣いているのか聞いてみた。すると弟はその問いに答えようとしてくれた。しかし、その時のわたしにはさっぱりわからなかった。

 その時の、弟の恥ずかしがるようなそれでいて不安そうな、それでも懸命な表情は今でも憶えている。

 それ以来弟は、わたしが読んでいる本や物語の感想を聞く度にそんな表情をしながら答えてくれる。

 

 さて、わたしはいつになく読書に没頭していた。これは友人が貸してくれた小説だ。

物語は佳境。主人公が謎の答えに辿り着きある人物と対峙する場面だ。

 不意に、これはよくないと思う。ページをめくることを止めようかと思うが手は止まらない。

 ああ、これはよくない。目に何かが溢れてくる。読み進めようにも視界が滲んで文字が読めない。

 本を裏返してテーブルの上に置きハンカチで目をおさえる。私の努力も空しく、頬を冷たいものが伝っていく感覚を覚える。

 なんてことだ、と思いながら顔を上げるとレジ付近に立っていた男性と目が合ってしまった。

 見られた、と思った。慌てて顔を背けようとするがそれより早く男性は気まずい表情をしてそそくさと店を出て行ってしまった。

 たぶん今わたしの顔は真っ赤になっている。

 そこへ注文が届いた。店員さんはわたしの顔を見ると、注文のサンドイッチを置くなりすぐ下がっていった。わたしは何とか落ち着きを取り戻そうとそれにかぶりつき口に押し込みコーヒーで流し込む。

 一息つくとまず恥ずかしさが、その次にイライラがこみあげてきた。

 なんということだ、泣いているところを見られてしまった。しかもあんな奴なんかに。

 

 その男性は会社の同僚だった。わたしより二年先の入社、年齢は確か四歳くらい年上。配属されている係が違うので一緒に仕事をしたことはなく、言葉を交わすこともあまりない。

 年齢の割に童顔なところが可愛いと同僚や先輩が噂していたこともあったがわたしはどうも苦手だ。理由はその童顔や低い身長、腰の低さ、そして何より休憩時間中に夢中になって本を読んでいる姿などがどうしても自分の弟を連想させてしまい、幼いころに弟を泣かせていた記憶が思い出されてすごくばつが悪いような気持ちになってくる。苦手というよりは気になってしまうといった方がいいだろうか。

 そういう相手に、自分の泣いている姿を見られてしまった。これほど恥ずかしい思いをしたことはこれまでの人生の中でもなかっただろう。人生最大の失敗といってもいいかもしれない。

 ここまで考えてふと気づく。失敗とはどういうことだろうか。

 

 食事を終えて職場へ戻る。例の彼はというと、急ぎの仕事でもあるのか珍しく本も読まずにデスクへ向かい書類とパソコンを交互に睨んでいる。

 わたしのデスクへ向かうには彼の後ろを通らねばならない。何事もなかったかような顔を装いながら歩いていると顔を上げた彼に気づかれた。すると気まずそうに会釈をしてまた手元の書類に視線を戻してしまう。

 体の中で何かが沸騰してひとこと言ってやりたい衝動に駆られる。しかしなんとか気持ちを落ち着かせてデスクへ向かう。

 フロアにはわたしと彼以外にも数人の上司や同僚たちがいる。手持ち無沙汰にスマホをいじっている人や新聞を読んでいる人、仮眠をしている人もいる。みな一様に静かだ。

 彼は先ほどと同じくデスクで書類と格闘している。わたしは気まずい心もちでスマホをいじるふりをしながら彼の様子をうかがう。

 わたしたち二人のデスクはそれほど離れているわけではない。近寄ってきて「先ほどはどうされたのですか」などと聞かれたらどうしようか。その顔に一発お見舞いしてくれようか。それとも冷たい視線を向けて沈黙を強要させるか。

 そんなことを考えつつ早く昼休みが終わらないかと思っているとぞろぞろとフロアに人が戻ってきた。

 「今日は珍しくお弁当じゃなかったのね」「寝坊してしまって」などと他愛もない会話を先輩や同僚たちと交わしつつ午後の仕事の手順を頭の中で整理していく。しかしその片隅では昼休みのことを考えてしまう。

 さっきの出来事、何を失敗と思ったのか。それに思い返せば昔似たような気持になったことがある。それはいつのことだったろうか。

 

 先輩におつかいを頼まれる。古い資料が必要なので地下の書庫を探してきてほしいというのだ。

 エレベーターを降りて書庫を目指す。重い扉を開けるとあの古い紙特有の独特の匂いに体が包まれる。昔、友人に古書店に連れて行かされた時にも嗅いだことがある。不思議だ、本にあまりなじみのない私にも直感的に、懐かしいと感じさせる匂いだ。なぜだろうか。

 その匂いがきっかけとなったわけではないだろうが思い出す。昼休みの時と似たような気持ちになったことが確かにあった。

 あれは小学校のころだった。放課後の教室で連絡帳か何か書いているところを同じクラスの男子に見られたことがあった。恥ずかしくなったわたしはその男子に手を出して喧嘩になってしまった。喧嘩といっても小学生の幼い児童同士のことだ。それほどひどいことにはならなかったはずだが、二人で泣いているところを先生に見つかった。そのまま職員室に連れていかれこっぴどく怒られたことを憶えている。その時の気持ちと同じだ。たぶん。

 わたしもあまり成長していない。まあ、あの場で席を立って彼に駆け寄り手を出さなかったのだから、少しは慎みを身につけたようではあるが。しかし、比較対象が小学生のころとは我ながら情けない。さっきとは違った意味で恥ずかしくなってきた。これもあの男のせいだ。

 

 それから数日が経ち、読み終えた小説を友人に返すことになった。お互い仕事先が近いこともありせっかくだから昼休みに外でランチをしようということになった。

 食事をしながらお互い小説の感想や世間話をしていよいよデザートという時であった。

 「こうして読んだ本の感想とかを語り合うことって最近なかったのよね」

 彼女はかなりの読書家だ。いろんなジャンルの小説やエッセイなどを読んではわたしに貸してくれる。普段は本を読まないわたしだが、活字が嫌いというわけではないので貸してもらえれば読んでこうして感想を伝えあうぐらいのことはする。

 わたし自身は読書をあまりしないのにどうしてこういう関係が続いているのかと思う。おそらく「本を読んでいる人」に対して憧れのようなものを抱いているのからだと思う。それでも自分から進んで読もうと思わないあたり、どうも憧れ止まりになっている気がする。

 「そうか、彼氏はあまり本を読まない人だったね」

 「そうでもないわ。わたしが勧めれば読むの。けれど感想を聞くと、わからないっていうの。曰く『料理の美味い不味いはわかるけれど、どこがどう美味いとか不味いとかはわからない。それと同じだ』だって。」

 「ああ、すこしわかるような気がする」

 本を読んでいると、その本が自分にとって面白い面白くないとかはわかる。

 けれども、その本のどの部分がどう面白いのかどうして感動したのかということを言葉にして伝えるのは普段本を読まない人間にとってもうワンステップうえのことだ。そのステップを上がることを億劫がってしまうのはわたしには十分わかる。それにその言葉が上手く伝わるとは限らない。昔のわたしと弟の時のように・・・。そんなようなことをそれとなく伝えてみる。

 「そうかもしれない。でも同じものを読んだり観たりして自分以外の人がどんな感想を持ったのかって知りたいの。たとえそれが不十分な言葉であったとしても、どう考え感じたのかに思いをはせることができる。それは自分の世界が広がるってこと。これって実はすごいことよ。」

 なんとも大そうな話になったものだ。それよりもふと気になって聞いてみる。

 「ねえ、わたしの感想はどうなの、十分つたわっているのかな。」

 「言葉って伝えたいことが全部伝えられるわけじゃない。そんなこと当たり前よね。でもだからこそ『伝えられた、伝わった』って感じた時にこれは奇跡かもしれないってすごくうれしくなる。たとえそれが自分の思い込みや幻想だったとしても、その感情だけは本当だと思う。」

 そんなものだろうか。言いたいことはいろいろあるがとりあえずひと言。

 「少し感傷的すぎるんじゃない?」

 

 「お疲れ様でした、お先に失礼します。」

 残っている同僚に挨拶をしてエレベーターフロアへ向かう。今日は珍しく残業になってしまった。疲労困憊ですぐにも倒れてしまう、というほどでもないがそれなりに疲れている。お腹の方も空いてきた。早く帰ってご飯しよう、と気持ちは軽く足どりは少し早くなる。

 気持ちがすこし急いていたからだろうか、開閉途中の自動ドアに肩が少し触れてしまった。大した衝撃ではなかったが姿勢を少し崩しバッグを落としてしまった。落ちたはずみでバッグの口から中身が床に散乱する。

 我ながら情けない。こんなところをひとに見られたら恥ずかしいなあ、と思いながら散乱した持ち物を拾い集める。

 一通り集め終わって確認してみると何かが足りないような気がする。はて、何だったろうかと考えていると「あの」と声をかけられた。顔を上げると正面には例の彼がいた。

 「これ落ちていましたよ。」

 そう言って本を差し出してくる。

 気まずそうに「どうも」と言って受け取る。ああ、これは失敗したなあと思う。

 「あの、この本このあいだも読まれていましたよね。」

 このあいだ、というのは数日前の喫茶店での時だろう。確かに読んでいた。今日の昼休みに友人に返した後、同じ本を職場近くの書店で買ったのだ。彼が拾ってくれたのはその本だ。

 「その本、僕も読みましたよ」

 はいそうですか、と言って帰っても良かった。しかし、つい口を開いてしまう。

 「あの、どうでしたか」

 我ながらひどい聞き方だ。彼は一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。けれどもすぐに、わたしが本を読んだ感想を聞いているのだと気づいたようだ。

 「切ない終わり方でしたね。やりきれないという思いが読み終わって湧いてきました。」

 彼は少し恥ずかしそうに続ける。

 「それから、個人的には終章一歩手前で主人公が友人から心情を告白される場面が胸に来ました。たぶん全編通してあの場面が一番心動かされたと思います。」

 心の中で何かがポンッと弾ける。

 「あの、その場面のことなんですけれども・・・」

 ひとたび口をあけると次から次へと思っていたことが言葉になって口から流れていく。拙い言葉選び、たどたどしい説明、言葉が感情に追いつかない。気持ちばかりが急いていく。わたしはこんなにしゃべるのが下手だったろうか。

 おそらく顔は真っ赤になりいつかの弟のように弱々しく不安そうな表情をしているだろう。

 大丈夫だろうかと相手の様子を窺う。目を合わせる。その表情を見る。

 昼間の友人の言葉を思い出す。「奇跡かもしれないってすごくうれしくなる。」

 「そう、僕もです。」

 目を輝かせながら口にされた彼の言葉を聞くと心の底の方が温かくなる。それと同時に顔の温度がさらに上がるのがわかる。

 わたしの言葉が彼に届く度に、それが受け取られていく度に、そしてそうやってわたしが心に描いた情景やその時の思考が彼に伝わっていく度にすごくうれしいような、それでいて恥ずかしいようなへんな気持ちになってくる。先日の喫茶店での時のように、小学校のあの時のように。

 先日の喫茶店でわたしは単に涙を流す姿を見られたからこんな気持ちになったのではないだろう。

 おそらくわたしは、自分の思考を読み取られたと感じたとき直感的にこんな気持ちになる。なぜだろうか、昼間の友人との会話の中でこんな気持ちにはならなかった。相手が異性だからだろうか。たぶん違う。その答えをわたしは知っている。

 いまはっきりと思い出した。小学校のあの時わたしは手紙を書いているところを見られたのだ。それも当時好きだった男子に。

 たぶんその感情を認めなくないからあの時の男子に手を出したのだ、失敗したと思ったのだ。

 ああもう本当に、この今の恥ずかしさとか嬉しさとかいろいろなものが混じり合った気持ちを抱えてここから今すぐ走り出してしまいたい。