「哲学」の問題

「世の中のことのほとんどは程度の問題ですから」

以前、友人にこう言われたことがある。結構重要な問題を話し合った会議の帰りに、議論を振り返っていた会話の中で出てきた言葉だった。

私はその言葉に頷きつつも、内心、もやっとした気持ちになった。

確かにこの世の中のことすべてが白と黒とに分けられるわけはない。その間のどこかで折衷できる点を探さなければならない。もちろんそんなことは承知のうえで、しかしその時の私は、それを「程度の問題」と表現されたことが少し気に入らなかったのだ。もっと言えば、この世界が妥協で回っていることを思い知らされたような気がして嫌だった。そんなもので良いのかというささやかな反抗心もあったのだろう。

先日「小泉悠が護憲派と語り合う安全保障」という本を読んだ。

かもがわ出版|小泉悠が護憲派と語り合う安全保障


小泉悠さんは、ロシア・旧ソ連圏の軍事・安全保障を研究している方で、特にロシア・ウクライナ戦争の戦況分析や解説などでメディアによく登場する方だ。その小泉さんが、兵庫県九条心のネットワーク主催の講演・対話集会での発言を書籍化したのがこの本である。

小泉さんは、軍事・安全保障の専門家だけあって、憲法改正によって日本国憲法第九条の平和主義が変えられてしまうことにNOを表明している九条心のネットワークの方とは当然意見の違いがあるはずであり、実際講演の中でもご自身そのようにおっしゃている。けれども、講演もその後の対話集会も終始穏やかに行われたことが本文からはうかがえる。意見の違いはあっても、誠実に話し合おうという両者の姿勢が伝わってくる。
私は、小泉さんの意見全てに賛同するわけではないけれど、本書の大筋には大きくうなずける部分がいくつもあった。その中で、特に印象に残ったのが、政策決定における「哲学」についての考え方だ。
小泉さんは、日本における安全保障に対するスタンスとして「平和一辺倒」と「軍事一辺倒」の両極端なスタンスのどちらもが世論を席巻もせずまたその逆でもないのには、どちらの意見にも一長一短があるからだ、としたうえでこう言う。

現実に日本国が取る安全保障政策というのは、二つのアプローチの間のどこかに位置するものとならざるを得ない。しかも、中間地帯のどこに点を打つのかについては、絶対的な正しい答えがない。国民から支持されたその時々の政権が「エイヤァ」で点を打っているわけです。(中略)絶対的に正しい安全保障政策というものがあればいいんだけれども、それがないから「エイヤァ」になってしまう。

 

ただ、「エイヤァ」には一定の哲学が伴っていなければならない

この部分を読んだ時、私は、はっとして冒頭の言葉を思い出した。

思えば、大は国や政治の話から、小は家庭や友人同士の間の話まで、100%正しい基準で解決できないものでこの世の中は溢れている。不確かな世の中で、それでも一応の答えを「エイヤァ」と出していくことは、まさに「程度の問題」だろう。けれども、その「程度」を決めるのにもそれぞれの「哲学」が存在している。
小泉先生はそれを指して「覚悟」と言い換えていたが、別の言葉を使うなら「信念」とでもいえるだろう。何を、どの部分に「エイヤァ」と決めるかによって、そのひとのありようというものが見えてくるのだろう。

ここまで書いて思い出したのが、米澤穂信の「小市民シリーズ」の主人公2人だ。

春期限定いちごタルト事件 - 米澤穂信|東京創元社

TVアニメ『小市民シリーズ』公式サイト

この小説の主人公たちは白とも黒ともつけられない世界の中で、それでも白黒はっきりさせようという性を持ち合わせてしまっている。そんな自分たちの性を何とかコントロールして周りと折り合いをつけようとするが、それでも譲れない部分が時折顔を見せたりする。そこに彼らなりの「エイヤァ」の哲学があるのだろう。

全てが不確かになりつつある世の中で、私たちはどのような哲学を持ち得るのだろうか。

旦那

古い友人が結婚した。もう何年も、SNSでしかつながっていない友人だ。

その友人が、SNSで自分の配偶者のことを「旦那」と呼んで照れくさそうにつぶやいていた。ほほえましい気分になった。

配偶者を表す言葉は色々ある。妻、夫、うちの人、家内、主人。旦那もその一つだ。

「旦那」という言葉で思い出すのは、落語「百年目」。落語の終盤、主人公に店の主人が、「旦那」という言葉の由来を教える場面がある。

「あれは、寺方の言葉で……」

そこで、手元の国語辞書を引いてみる。

語源は「布施」の意味の梵語サンスクリット語)の音訳。ドナーと同源

とあった。

一番目の意味は施主。次が、(商家などの)主人とあって、四番目に(他人の)一家の主人とあった。言葉にはいろいろな意味がある。

これだけをもって、「男性の配偶者を旦那と呼ぶのは家父長制を引きずっているのだ」などというのは非常に短絡的な考えだ。

言葉が、本来的な意味を離れて使われるということは往々にしてあることだからだ。その場合、言葉は単に記号的な使われ方以上の意味を持たされない。

自分の周りの人を表すのにどのような言葉を使うのかも同様に様々だ。そこに使われる言葉にはやはり記号的な意味しか持たされないのかもしれない。だからこそ、言葉以上に、その言葉を使う心もちや態度が大切なのだろう。

もし、自分に配偶者やパートナーできたとき、その人をどのような言葉で呼ぶかはわからない。けれども、できるだけその人を尊重してその言葉を使いたいと思う。

 

ちなみに、僕がこれまで触れてきた中で一番いいなと感じた配偶者を表す言葉は「連れあい」である。

呻り田

 去年の夏に学生時代の同期たちで作った同人誌に寄稿した小説です。

 時代は昭和中期モータリゼーションがまだ進んでいない田舎が舞台のお話です。

 

 

 

 

 見渡す田園地帯は、刈り取られた稲わらを干す稲木で溢れていた。

 縁側に腰かけて見渡すと、遠く山のふもとの集落まで稲刈りを終えた田圃が広がっている。そのいくつもの田園風景のなかで、一か所台地のように盛り上がり耕作されていない場所がふと目に着いた。田園風景の中でぽつんと浮かび上がっているようなその場所に意識を集中させようとしたところで、後ろから声をかけられた。

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心の中のメスシリンダー  鼠穴と赤ずきん

 

よく幸せの総量、涙の総量なんて言葉を聞く。

なんでも聞くところによると、この世界の幸せの総量は決まっていて、ぼくたちはそれを分け合うゼロサムゲームをしているらしい。

それは大変だ。それなら僕の幸せをみんなに分けてあげなくちゃ。けれども分配できるほどの幸せを持っているだろうか。

僕はご飯を食べると幸せになる。ゼロサムゲームというなら、僕がご飯を我慢することによって生じる不幸せと同量の幸せを誰かがもらわなくちゃいけないだろう。けれども、ご飯を残すと料理をしてくれた人は不幸せになるだろう。外食を控えると外食産業は不幸せになる。本当にムツカシイ。

幸せの量をメスシリンダーとかで測れるようにしてほしい。そうすれば「この目盛分の幸せを誰かにあげますよ」といえるではないか。これぞ本当のゼロサムゲームだ。

同じように、人それぞれの涙もメスシリンダーに入って総量が決められているのだろうか。そうしたら大変だ。なるべく涙を流さないように我慢しなくちゃいけない。でもそうすると冷徹な人間と思われるだろうか。本当にムツカシイ。

 

僕はよく落語を聴くのだけれど、人情噺には涙が出る。

古今亭志ん朝さんの『芝浜』や、桂米朝さんの『たちきり線香』などは車の運転中にCD音源で聴いても感動した。柳家喬太郎さんの『文七元結』での、長兵衛と文七のやり取りはいつもの滑稽ものの時とは違い鬼気迫るものがあって、驚きつつも口演に引き込まれていた。

最近では、立川談春さんの噺を聴いたときのことが特に印象深く記憶に残っている。

 

長野の須坂での独演会のことだ。確か前半の演目が『禁酒番屋』という滑稽噺で涙が出るほど笑った。談春さんの口演はこれまでCDでしか聞いたことがなかったから、ワクワクドキドキしながら楽しんでいた。

仲入り(休憩時間)を挟んで始まったのが『鼠穴』という噺。

僕はそれまでこの演目を聴いたことはなかったけれど、途中で、これ鼠穴だよなと気が付いた。本で読んで知っていたのだ。本といっても落語の全集とかではない。北村薫さんの短編集『空飛ぶ馬』に収録されている『赤ずきん』の中でほんの少しだけあらすじが語られていた。

 

田舎で失敗して江戸の兄を頼ってきた弟。けれども、兄が渡したのはたった三文の銭だけ。弟はその銭で商売を始めていくが………。という噺だ。

 

その口演の途中、談春さんは「三文から商売を始めた、といっても稼いでいく間の弟はどうやって生活をしていたのか。色んな噺家にこのことを聞いたことがあるが、納得のいく答えを聞いたことがない」というようなことをおっしゃっていた。

その時僕は、思わずはっとした。全く同じような台詞を『赤ずきん』の中で読んだからだ。

 

「僕などはすぐに、≪三文から増やしていく間の生活費はどうしていたのか≫と考えてしまうんですよ。」

 

この言葉自体は、物語の本筋には直接関係しない、枝葉の部分だけれどなんとなく心に残っていた。それが不意に思い出されて、そこからは談春さんの口演に引き込まれてしまった。

 

弟は少しずつ商売を大きくしていき、何年か後には屋敷に蔵をいくつも持つような大商人になる。そして何年かぶりに兄のところへ銭を返しに現れる。その時、兄はたった三文の銭しか与えなかった理由を明かすのだ。

 

その場面で僕は思わずボロボロと涙を流してしまった。

僕は談春さん以外が口演したこの演目を聴いたことがないけれど、ここまで泣くような口演は一生に何度出会えるだろうかと思った。

そしてもうひとつ思ったのは、何かに涙を流したり感動したりするのは、その受け手側、つまり僕自身に結構依存するのではないかということだ。

 

僕は、自分の中に涙が溜まったメスシリンダーがあるのを想像する。その中に、これまでの経験だったり、思い出だったりという名前の宝石が貯められていく。すると、メスシリンダーの中の”かさ”は増えていき、溢れんばかりの状態になる。そこで何か、些細なことで心がさざ波立つと、容器から涙がここぼれるのだ。

心をさざ波立たせるのは、共感だったり演者の巧みさだったり色々あるだろう。けれどもそれは単なるきっかけに過ぎないのかもしれない。涙が流れるのは、もっと深い深い、僕自身の心の中に沈んでいる宝石たちが、心のメスシリンダーの中で涙を”かさまし”させたからだ。僕がため込んだ宝石の大きさや量が、感受性の”もと”となっているのかも知れない。

たぶん、沈んでいる宝石のひとつひとつは大きなものも些細なものも色々ある。けれどもその大きさに関係なく、そのどれもが気付かないうちに僕の中で大切な宝物になっている。

この、談春さんの『鼠穴』で泣いたという思い出も、『赤ずきん』とのつながりも僕の中で大切な宝石となっていくはずだ。

そう考えると、涙の総量なんて気にしなくていい。涙の量が少なくなってもビーカーの中には大切な宝石たちがたくさん詰まっているのだから。

これからも、日常の中で見つけた宝石たちをしっかりと心のメスシリンダーにため込んでいこうと思う。そのためには、きちんと目を見開いて、耳をすまし、両手で広げた目に見えない網で取りこぼさないようにしなくては。

 

けれども待てよ。そうすると今度は、涙腺に石が詰まることを気にしなくてないけないのだろうか。本当にムツカシイ。

 

 

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 

 

 

『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』を読んで

 先週から今週にかけて、図書館で借りた『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』という本を読んでいた。そこに綴られている、戦争中の子供時代を回想する短い文章のひとつひとつが悲しく、皮肉で、そして何より美しい。

  

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雪の日

   車の外では雪がちらつき始めている。朝のニュースの天気予報では夕方から降雪と言っていたがこんな時に予報が当たらなくてもいいではないかと思う。

 わたしは今高速道路出口脇の待機スペースに車を停めて電話を待っている。ドアのすぐわきにはネクスコの職員さんがひとり立っていてちらつき始めた雪を恨めし気に見上げてしかしすぐにわたしの方へ視線を戻した。正確にはわたしの携帯電話にだろうか。

 女が1人若い男性を侍らせていると思えば格好もつくだろうけれど生憎そんな情緒のある話ではない。なぜならわたしは高速道路を無賃利用してこんなことになっているのだ。むろんわざとではない。

 今日は遠方への出張で朝から車を運転していた。不運は前日から始まった。今日の出張自体は前々から決まっていたので、事前に会社の社用車も一日予約していたのだ。しかし前日、つまり昨日その社用車が事故にあってしまった。わたしも知っている同僚が運転して出張に出ていたのだが、信号待ちの最中に後ろから追突された。信号待ちをしていた3台の最後尾に停車していたところを追突されてしまったので玉突き事故になってしまったのだ。幸いその同僚に怪我はなく大事に至らずに済んだが車の方はそうもいかなかった。フロントもリアバンパーも無残な姿で自走してきた車はすぐに修理業者に引き渡されて全治3週間の修理中だ。不運は重なるものでその時点で他に今日使用できる社用車はなく、わたしの自家用車も修理中で返却は明日土曜日の予定だった。先週の日曜日に修理に出したのだけれど普段はバス通勤だし次の週末には修理が終わって返ってくるというので代車を頼んでいなかったことも失敗した。出張を取りやめることも考えたが訪問先のひとつからどうしても今日来てほしい旨頼まれていたこともあって仕方なしに会社の総務にレンタカーを頼んで手配してもらったのだった。

 いつもの社用車であればETCで高速道路を利用する。もちろんこのレンタカーにもETCの車載器はついている。社用のカードを車載器に入れれば使えるだろう。そのつもりだったが肝心のETCカードの方が不具合で総務が再発行を依頼していた。自分用のETCカードは家に置いてきていたため仕方なく一般レーンから高速道路を利用した。行きも帰りもだ。

 特に何事もなく出張先での仕事を終えて最寄りのインターチェンジから高速道路へ入場し途中のサービスエリアで休憩もすることなく会社近くの料金所まで帰ってきた。車を停止させ通行券を職員さんに渡しさて精算という段になって財布がなかなか見つからない。そんなはずはないだろうと助手席のバッグの中を漁り始めるがなかなか出てこない。そうしているうちに見かねた職員さんから「とりあえず待機スペースへ回ってください。別の者が対応しますので」と言われてしまった。バックミラーを確認すると後ろには順番待ちの車が停車していて運転手がまだかまだかといいそうな視線をわたしに送っている。

 わたしは恥ずかしい気持ちを押しこらえながら「すみません」と謝り、ついでに心の中では後ろの運転手さんにも謝りながらゆっくりと車を待機スペースに移動させた。

 料金所脇の建物の中から職員さんが来る間もバッグの中や車内を探すがなかなか見つからない。

「財布を忘れたんですか。」

 職員さんはそう質問したがそんなはずはない。朝も一般レーンから入場して出張先で現金精算をしたのだから。そう言おうとして思い出した。

「途中に寄ったコンビニに忘れてきたかもしれません…。」

 最後の訪問先を後にした後お手洗いを借りにコンビニに立ち寄った。別に何かを買うつもりはなかったけれどお手洗いを借りるだけなのも気が引けて財布も手にして車から降りたのだった。その時に財布だけを忘れてきたのかもしれない。

 うろ覚えのコンビニの場所をスマートフォンの地図アプリで検索して電話をかけてみると対応してくれた店員さんはとりあえず探して折り返し電話をくれるということだった。その電話を待っているのだ。

 

 相手からの電話を待っている時間とはすなわち何もすることができない時間なのだということを今ほど実感することはなかった。いつもの空き時間なら小説を読んだりスマートフォンをいじったりして時間をつぶすのだけれど車の外で人を待たせながらそんなことをできるほどわたしは図々しくはない。いっそそれくらいの性格だったのならもっと気が楽だったろうに。

 ふと職員さんを見ると目が合ってしまった。冬場に道路で働くだけあって防寒ジャケットを着て手袋をつけているけれどそれでも寒いものは寒いのだろう、少し体を震わせている。車内で待ってもらおうかとも思うけれどそれはお互い気まずいだろう。思わず、

「すいません」

と口にして頭を下げる。

 「いえ、これが仕事ですから。それよりも財布あるといいですね。」

 困ったような笑顔で応えてくれるその気遣いが申し訳なくて彼から目を背けてしまう。まったく、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。

 今日はわたしの誕生日だから休憩もせずに早めに帰ってきたというのにまったく嫌になる。一人暮らしの家に帰っても、ケーキが用意してあるわけでもおめでとうの言葉をかけるのに待ってくれる人もいないのだけれど、それでも今日は残業をせずに帰るつもりでいたのに。

 思い返すとこれまでこんなことばかりだ。友人の結婚式の当日には祝儀袋を間違えるし、図書館に貸し出し予約をしていた本が届いたのは長期の旅行に出発する当日だし、出かけた先では家の鍵を忘れてくる。こんな間抜けな女には腹が立って仕方がない、その腹をたてるのはよりによって自分自身に対してなのだから尚更たちが悪い。どうしてこんな星の下に生まれてしまったのだろうか。

 そう思っていると手元で携帯電話が震えだした。表示される番号は先ほどかけたコンビニのもの。すぐさま出ると先ほど対応してくれた店員さんがそれらしき財布を見つけたとのこと。とりあえず口頭で中身を確認すると財布に入っていた保険証でわたしのものだと確認できた。すぐ取りに行くことができないのでお店で保管してもらうことをお願いすると快く承知してくれた。

 「財布あったみたいで良かったですね。利用料金を後日払っていただく手続きをしますから、運転免許証と車検証を持って事務所まで来てください。」

 電話を切るのを待って職員さんが話しかけてくれた。

 「はい、ご心配をおかけしました。」

 言われたとおり免許証と車検証を持って車から出て職員さんについていこうとする。するとまた携帯電話が震えだした。また電話かとも思うけれどすぐに止まったのでおそらくメールだろう。気になって画面を開いてみると母からだった。

『誕生日おめでとう。そっちは雪らしいけれど大丈夫ですか?身体には気をつけて。』

 たったこれだけの短い文章なのに読んだ途端にそれまでの暗くて自分を虐めていた気持ちがだんだん晴れていく。多分どんな人だろうと自分を祝福してくれる言葉には救われるのだろう。そしてこの使い古された短い言葉はどんな格言や崇高な文句にも負けない祝福の魔法を持っている。「誕生日おめでとう」

 高速道路の事務所に入り必要書類を渡し後日精算の書類を発行してもらうまで待っていると窓の外ではいよいよ雪が本格的に降り始めてしまった。吹雪く前に会社に戻れるかと心配していると名前を呼ばれ先ほどの職員さんから料金の後日精算の書類を渡された。

 「今日から7日以内に精算してください。精算場所はどこの料金所でも大丈夫です。」

 そう言うとさっき渡した免許証と車検証も返してくれた。その時にふと免許証に目を落としていた彼が顔を上げて笑顔になった。

 「それからお誕生日おめでとうございます。災難でしたけれど良いことがありますよ。」

 書類や車検証と一緒に笑顔と祝福をもらったわたしは嬉しくなって、

「ありがとうございます」

と精一杯の笑顔で応えてお辞儀をして事務所から車に帰る。冷え込み始めた冬の夜はしんしんと雪が強さを増している。その中でもわたしの中は温もりでいっぱいだった。

2人の遊戯

 鍋の中で油がぱちぱち跳ねる音がしている。油の温度を確認するためにたらした小麦粉が音を立てて浮かんできた。温度はこんなものだろう。

 醤油と酒とショウガで下味をつけた鶏肉は既に白い小麦粉にまみれている。それをひとつずつ適温になった油の中に入れて揚げていく。出かける前に彼女が注いでくれたビールを飲みながら、徐々にきつね色に変わっていく鶏肉の様子を見ているとお腹が空いてくる。

 「ただいま。」

 彼女が帰ってきた。買い物バッグをあけて牛乳やら豆腐やらを冷蔵庫に入れていく。

 「そういえばスーパーからの帰り道に駅前の通りを通ったらビルのモニターで美術館の企画展の宣伝をしていたわ。確かロマノフ朝の秘宝展だって。あなた好きでしょこういうの。

 「まあね。そうだ、冷蔵庫の中にレタスがあるからそれでサラダを作ってよ。」

 そう言って揚げ物を続ける。ふとズボンのポケットの中に忍ばせた小瓶に手を触れる。大丈夫だきちんとある。彼女の命を終わらせる凶器はきちんと持っている。

 「わかった。それにしてもロマノフ朝の秘宝って何かしら。モニターでは卵のようなものが映っていたけれど。」

 「それはインペリアル・イースター・エッグじゃないかい。皇帝が皇后のために作らせて毎年贈っていたそうだよ。確か全部で50個作らせたそうだけれど革命の余波でロシア国外に散逸してしまってそのうちいくつかは未だに行方知れずらしい。」

 唐揚げを油の中からお皿に取りながらふと僕はなぜ彼女を殺そうとしているのか思い出そうとした。最初のきっかけは何だったろうか、今はもう思い出せない。それでもこの毒薬を手に入れたのは昨日今日のことではないはずだ。手に入れたときは確かに何か理由を持っていたと思う。自殺用だったのだろうか。それも今は思い出せない。

 「ロシア革命か。家族全員が処刑されてしまうなんて皇帝一家も不運だったわよね。一般市民の家庭に生まれていればそんなことにならずに済んだのに。」

 「まあ、あの時代に一般市民として生まれていたとしても幸せだったかどうかはわからないよ。帝政末期から革命と戦争の時代だったわけだし。でもそうだね、一家そろって処刑なんて運命にはならなかったかもしれない。人間は生まれる場所や時代を選べない。その不幸は何も貧しい人にとってのこととは限らないのかもしれないね。

 彼女はシンクでレタスを洗いざるにあげて水をきっていく。ボウルの中に塩コショウを振りそこへレタスをちぎって入れていく。そしてレモン果汁とオリーブオイルを注ぎ菜箸で混ぜ始める。彼女はドレッシングの類をあまり使わない。

 味見してみてとレタスをひと切れ差し出してくる。一口食べて少し苦みが強いレタスだなと思うがいいんじゃないかいと応える。

 「ロマノフ朝と言えば司馬遼太郎が小説の中で最後の皇帝ニコライ二世のことをさんざんこき下ろしていたっけ。失政の責任は統治者ひとりの責任に帰される。なんだか可哀そうだね。」

 「でも家族に取り入った男の言いなりになって国を混乱させてしまうなんて非難されても仕方ないでしょ。だいいちラスプーチンなんて妖怪の類よ。毒を飲んでも死なないなんて。そんな妖怪を取り巻きに持つ方もどうかしてるわ。」

 一瞬ドキリとするけれども顔は平静を保つ。

 「けれども国が傾くのはひとりの責任ではないんじゃないかな。国が乱れたり滅びたりするのにはいろいろな原因があるわけで、誰かひとりや取り巻きの責任だけではないと思うよ。そんな小さな責任で傾くほど国家とか組織って簡単なものじゃないよ。」

 唐揚げを盛った皿をテーブルへ運ぶ。すこし頭がぼやけてきて足どりが重い気がするけれどこれもビールのせいだろうな。人殺しなんて酔っぱらっていないと実行できない。

こんな他愛もない会話を繰り返す生活をずっとしてきたけれどどうして毒を手に入れたのだろうか。誰に何のためにかはもう思い出せないけれど、手に入れた時は本当に使う気でいたのだろう。手に入れた理由はたぶんほんの些細なことではないだろうか。「魔が差した」というものだ。それからその凶器は使われずにずっとこの家の中で隠されていた。僕が寝室でそれを見つけるまでは。

 それはついこの間のことだった。手にするとそれが命を奪うものだということはすぐわかった。手にした途端どうしようもなく使いたくなった。だからたぶん僕が彼女を殺そうとするのはただ単に殺したいからだ。それ以上の理由はありはしない。たぶん見つけたのが古い映画のVHSやDVDだったとしたらそれを彼女と一緒に観ただろうし。レコードやCDだったとしたら一緒に聴いただろう。

 キッチンの彼女の隣に戻ってくるとグラスをあおり残っていたビールを一気に飲み干す。黒ビールだったから飲んでいるときは気付かなかったけれどグラスの底に澱のようなものが少し残っている。空き缶の底を見てみると賞味期限がわずかにすぎている。これまであまり気にしてこなかったけれどやはりビールの賞味期限も気にした方がよさそうだ。

 「ちょっとまだ酔っぱらわないでよ。」

 「大丈夫だよ。まだ一杯しか飲んでいないんだから。」

 二杯目のビールと作り置きのおかずを取り出そうと冷蔵庫の扉を開ける。お目当てのビール缶を一本と野菜のおひたしや漬物が入っている容器をいくつか取り出すと冷蔵庫の中に新参者が鎮座していることに気づいた。

 「あれ、デザートを買ってくるなら二人分買ってきてよ。」

 「ああ、ごめん忘れていた。」サラダのボウルと小皿をテーブルに運んでいる彼女の顔はここからは見えない。

 まあいいかと思い缶ビールの賞味期限を見てみると今度は大丈夫だ。プルタブをあけグラスには注がずにそのまま飲む。

 「やっぱり黒ビールは合わないのかなあ。」

 さっきほどではないけれどいつものビールより苦みが強い気がする。

 「じゃあわたしは普通のラガーにするわ。」

 そう言って彼女は自分も冷蔵庫から缶ビールを取り出してシンクの隣に置く。彼女はビールを飲むとき必ず常温に戻してから飲む。ラガーでもエールでも黒ビールでも何でもだ。

 「お皿とグラスをとってくれない。漬物とかを盛り付けるから。」

 ぼくは彼女を背にして食器棚から小皿をいくつかとグラスをひとつと取り出して小皿の方は彼女に渡す。渡すときに上手く渡せず落としそうになった。彼女は気にした様子もなく「本当に酔っぱらわないでよ」と言ったけれど。僕はひやひやした。やはり人を殺すということへの恐怖だろうか。

 「それにしてどうしてセロリでお浸しなんか作ったのかしら。」

 「セロリが安かったからだね。」

 「わたしセロリの青臭い匂いが苦手なんだけれどこのお浸しはあまり気にならない。たぶんお酢と醤油のおかげかしら。」

 「たぶんそうだろうね。僕もあの独特の匂いは好きじゃないからどうしようかと思ったよ。あと味噌とか麹でつけたりしても青臭さは軽くなるね。」

 そうなんだとあまり関心もなさそうに彼女はセロリのお浸しを小皿に盛り付けていく。

 「そういえばセロリの香りの成分はパセリと同じそうよ。それでもって昔は薬用として重宝されたんですって。あなた知ってる?」

 彼女の瞳が面白そうに輝く。僕は知らないなあと誤魔化す。パセリやセロリ香りの主成分はアピオール。その古代から知られる薬効は中絶。日常生活で一般的に摂取する量なら問題はないだろうけれど女性の目の前で口にする内容じゃない。この様子じゃ彼女は知っているだろう。それで僕をからかっているわけか。

 彼女が小皿を手にしてテーブルに向かうとポケットの中から容器を取り出してその中身を全部グラスに入れビールを注ぐ。小瓶の蓋はうまくあけることができずプルタブを起こすのにも手間取ったけれど何とかすべてを終わらせることができた。

 お盆に自分の分のビールも載せて運ぼうとすると足が少しもつれて転びそうになった。幸い戻ってきた彼女がお盆を持ってくれてグラスやビールが落ちたりこぼれたりすることはなかった。僕はありがとうとだけ言って彼女の後に続いていく。

 調べたところではこの毒は即効性らしい。彼女の死に顔を見るのは辛いだろうけれど自分の行動の結果くらいは見届けないといけないだろう。

 テーブルの椅子に座るとなんだか疲れがどっと出てきたような気がする。もう二度とここから立ち上がれないような全身が重くなったような気分だ。

 ふと彼女の方を見ると本棚に近寄って何かを探している。探し物はすぐに見つかったようで一冊の本を手にして戻ってくる。手にしていたのは「ソクラテスの弁明」だった。

 「わたし、この話が嫌いなのよ。ソクラテスは裁判で死刑を宣告された後牢屋番にお金を渡して逃げることもできたのよ。アテナイから他国に亡命することだってできた。それなのに、悪法もまた法なりとか言って毒をあおったの。その信念は立派だと思うけれどやっぱり死んだら何にもならないと思うのよね。」

 西洋哲学者を半分くらい敵に回すような言葉だね、と言おうとしたけれどうまく言葉が出てこない。

 彼女がグラスをかかげたので僕もそれに倣おうと持っていた缶ビールをかかげる。けれども手から力が抜けて缶ビールを落としてしまった。

 瞼がだんだんと重くなってきて平衡感覚がなくなってくる。椅子からずり落ちているんだなと気付いたけれどその感覚はすごくゆっくりとしたものだった。

 床に打ち付けられ衝撃を全身が走るけれどその感覚もすごく鈍い。

 彼女の声が聞こえる。

 「ソクラテスが飲んだのはドクニンジンの毒らしいわ。ドクゼリという説もあるらしいけれど。何の毒だとしても死んだ人には関係ないことよね何にしても死の直後まで弟子たちにこんな説教をしているのだからたいしたものだわ。死ぬこと自体に恐怖はなかったのかしら。」

 目をあけると視界ぎりぎりにテーブルの向こう側にいる彼女が見えた。彼女も僕を見ていた。

 「でもわたしはそんなのごめんだわ。死ぬのは嫌だし殺されるのはもっと嫌。」

 ああそうだねと口にしようとするけれど口が開かない。口だけでなく体中が化石になったみたいに動かない。ドクニンジンやドクゼリの毒の成分は神経毒のコニイン。確かビールに入れて殺人に使った小説があったなと他愛もないことを思い出す。

 彼女の目を見ると嘲笑とも哀れみともつかない微笑が浮かんでいた。